かくて(昭和十八年)三月もすぎた。
監房の視察窓から担当官が、われわれを視察看視しているわけである。日中は私は壁に背をもたせて目を閉じて、黙想したり、また祈禱したりしている。
ある夜の事、もう就寝ま近の時に、
「居るかい、一寸話がある」
と、誰かが私を呼ぶのである、それで私は視察窓の下に坐ると、
「お祈りというものはほんとうにきかれるものかね、ほんとうの事を教えてくれ」
というのである、勿論刑吏官である。
廊下の電灯は薄暗く判別がつかぬ、私の監房の灯火は、五燭よりも暗いのである。
「お祈りはきかれますよ」
「あんたはいつもお祈りをしているようだが、どんなお祈りをしているのかね」
「そうですね、いろいろです、沢山祈る問題はありますからね」
「どうかね、私は試験をうけるんだが、お祈りすればきいてもらえるものかね」
「そうですか、それでは忙しいですね、試験勉強では……」
「どうだろうか、及第する見込みがあろうかね」
彼は私に神様のお告げでもききたいような考えらしい、それで私は頸根が痛くなるほど上向きになって、しばらく宗教について話してあげたのである。
彼は満州から帰ったが、よい就職口がなく仕方なく刑務所に就職した事情を語っていた。暗の中での会話なので、どんな人相の青年であるか知ることは出来なかった。