メッセージ 2020年7月〜9月


2020927日 礼拝 岡田順一牧師

「キリストの使者となる」ルカによる福音書 22113

「イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた。」(ルカによる福音書22:8

 

①サタンの使者となったユダ。

ユダはなぜ主を裏切ったのでしょうか。「ユダの中に、サタンが入った。」(3) サタンは人の弱い所を誘惑します。ユダの弱さは第一にプライド。中心地であるユダヤ出身者としてのプライドがありました。第二に金銭欲。「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」(マタイ26:15) お金で主を売りました。第三に自己中心。主のお考えよりも自分の思いを優先しました。ユダはサタンの誘惑に負けて罪を犯しました。

 

②キリストの使者となったペトロとヨハネ。

キリストの使者とは第一に神の計画に参加する人。「過越の食事ができるように準備しなさい」過越の準備とは主の十字架の準備であり神の計画に加わることです。第二にキリストの言葉に従う人。「二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだった」(13) 主の言葉に従った時、その真実が証明されました。第三に使命を果たす人。主は私たちが使命を果たすために必要な物を必ず備えてくださいます。


2020920日 召天者記念礼拝 岡田順一牧師

「天に国籍をもつ人」フィリピの信徒への手紙 32021

「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙3:20

 

①天への希望。

「わたしたちの国籍は天にある。」(20 口語訳キリスト者は地上におけるそれぞれの国籍と共に、永遠の命によって天に国籍を所有しています。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20) キリスト者は天における命の書に名が記されており、その人だけが天に入国することができます。「その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:15) 命の書に名が記されず、天に国籍を持たない人は永遠の滅びに至ります。神を信じて天に希望を持つ者でありましょう。

 

②卑しい体が変えられる希望。

わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」(21) 私たちの体は限界があり、多くの弱さがあり、やがて死ぬべき運命にあります。しかし神を信じて永遠の命に生かされる時、天においてはすべての弱さから解放され、主と同じ形に変えられる希望があります。


2020913日 長寿の恵み感謝礼拝 岡田順一牧師

「夢を見る幸いな老人」詩編 12616

「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。」(詩編126:1

「わたしの霊をすべての人に注ぐ。…老人は夢を見る」(使徒言行録2:17

 

霊の注ぎを受けたキリスト者である老人は夢を見る存在です。

 

①夢をかなえる神。

「捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった」バビロンに捕囚の身となって苦しむ民が解放を夢見て祈った祈りに神は答えて、彼らを祖国に連れ帰られました。彼らは夢が実現したことを実体験しました。

 

②夢の中におられる神。

彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」(創世記28:12)  ヤコブに神は、夢の中に彼の祈りが天に達し、その答えが彼に届くことを知らせました。

 

③夢と信仰を結びつける人の祝福。

「主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい』…ヨセフは…主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ」(マタイ1:20,24)ヨセフは夢を信仰によって受け止め、それに従い祝福を得ました。


202096日 礼拝 岡田順一牧師

「いつも目を覚まして」ルカによる福音書 212938

「あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」(ルカによる福音書21:36

 

①人の領域と神の領域がある。

「その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。」(34) 罪深い生活をする者には主の再臨は不意に罠のように訪れます。「人の子は思いがけない時に来るからである。」(12:40) 主の再臨の時を定めるのは神の領域です。人がそれを決めようとするなら異端となり得ます。人間の死の時も神の領域です。人がそれを左右してはなりません。神の領域は神の最善がなされる場であることを信じて、その時を待つべきです。

 

②再臨の主を迎える用意。

「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」再臨の主の前に確信を持って立つためには、いつも目を覚まして祈りの生活をすることが最善の用意です。祈りの生活とは日々に主との交わりを続けることです。日々に主と交わる延長線上に再臨の主をお迎えする時がやってきます。その人は慌てることなく主と出会うことができます。


2020830日 礼拝 岡田順一牧師

「キリストの再臨」ルカによる福音書 212528

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」(ルカによる福音書21:27

 

①キリストの再臨の最後の前兆。

「天体が揺り動かされる」(26) 「天は巻物が巻き取られるように消え去り」(黙示録6:14) 天地創造の時「神は二つの大きな光る物と星を造」られました(創世記1:16)大宇宙を創造された神がやがての時、天体をも揺り動かされます。

 

②輝くキリストの再臨。

「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(27) すべての天体が光を失った時、スポットライトを浴びるように輝いたキリストがこの世に再臨されます。その光景を「人々は見る。」とキリストご自身が預言されました。それは主が昇天された時の天使の預言の成就です(使徒言行録1:1011)。

 

再臨のキリストをお迎えする姿勢。

「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。」(28) キリストの再臨の時、私たちが持っている物、この世の地位は何の役にも立ちません。大切なことは再臨のキリストを信仰によって待ち望み、くずおれた膝を伸ばして身を起こし、うなだれた頭を上げることです。


2020823 礼拝 岡田順一牧師

「終末における救い」ルカによる福音書 21524

「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」(ルカによる福音書21:1819

 

①この世の終りの時がある。

「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」(6) 主イエスは見事なエルサレムの大神殿もローマ帝国によって崩されてしまう預言を弟子たちに告げることを通して、この世の終りの時が必ず来ることを告げました。

 

②終末の前兆。

主イエスは五つの終末の前兆を告げられました。第一に偽キリストの出現(8)。第二に戦争、暴動が起る(910)。第三に地震、飢饉、疫病の発生(11)。第四に迫害を受ける(12)。第五に愛が冷える(16)。きわめて今日的であることを知るべきです。

 

③終末における救い。

終末に向けて第一に神に目を向ける。人に「惑わされないように気をつけなさい。」(8) 第二にキリストを証しするチャンスとする。「それはあなたがたにとって証しをする機会となる。」(13) そのために主は言葉と知恵を授けてくださいます(15)。第三に神の愛を確信する。「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。」神の愛による完全な保護を確信すべきです。


2020816日 礼拝 岡田順一牧師

「真実なささげもの」ルカによる福音書 2114

「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。」(ルカによる福音書21:3

 

①献げる心を見る神。

貧しいやもめの婦人が神殿の賽銭箱にレプトン銅貨二枚を献げました。レプトンとは当時の一番低い単位の貨幣です。それをご覧になった主イエスは「だれよりもたくさん入れた」と言われました。彼女はレプトン銅貨二枚しか持っていませんでした。その二枚を神様に献げました。それは余り物ではなく犠牲の献げものでした。彼女は神様へのあふれる感謝の心で献げました。神様は私たちの献げる心を見ておられます。

 

②小さきものを受け入れる神。

レプトン銅貨二枚は小さな献げものでした。しかし主イエスはそれを「だれよりもたくさん」と評価されました。貧しいやもめが献げなくても神殿の経営に影響はなかったことでしょう。しかし彼女は献げる時、これが役に立つのか、役に立たないならやめようとは考えませんでした。神様への感謝のゆえに献げずにはおられなかったのです。主はどんなに小さくても心からの献げものを喜び、最大限に用いてくださいます。


202089日 礼拝 岡田文美佳副牧師

「あなたを惜しまれる神」ヨナ書 4111

「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。」(ヨナ書4:11

 

①ヨナの現実。

セカンドチャンスを与えられたヨナでしたが、ニネベの町の赦しと救いを受け止めることができませんでした。人が救われるのは十字架による神のご愛による贖いによります。ヨナは正しい人ではありましたが、救いを語る者として憐れみと赦しを学ぶ必要がありました。

 

②神の備え。

神様は、ヨナに対して細やかなお取り扱いをなさいました。2章までに嵐を起こし、大魚を備え救い出し、4章でふてくされるヨナにとうごまを備え、暑さをしのがせられました。そして、虫を差し向け、東風による灼熱の中でヨナは自らの怒る姿と向き合います。神様の備えすべてを通してヨナを用いられやすい者になるように取り扱われました。

 

③あなたを惜しまれる神。

神様は、私をも惜しんでくださる方です。惜しむ心は、憐れみの心であり赦しの心です。大切に思う心であり、その心をもって神の恵みを語り、人に仕えることを求められます。「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。」(ピリピ2:5文語訳)


202082日 礼拝 岡田順一牧師

「天国への希望」ルカによる福音書 202747

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」(ルカによる福音書20:38

 

①現世主義の生き方。

復活があることを否定するサドカイ派の人々は一人の女が7人の兄弟と結婚した場合、天国においては「その女はだれの妻になるのでしょうか。」と主に問いました(33)。この問いの背景には7人の兄弟が一人の女を奪い合う自己中心の思いがあります。「死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」(コリント一15:32) これが現世主義の行き着く所です。

 

②天国主義の生き方。

サドカイ派の人々の問いに主は天国に入る人とは「復活にあずかる者として、神の子だからである。」と答えられました(36)。この世は不公平に満ちています。しかし天国は皆が神の子として溢れる神の愛の注ぎを受けることができます。「死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」(コリント二1:9)

私たちも復活させてくださる神を頼りましょう。


2020726日 礼拝 岡田順一牧師

「この世と神への責任」ルカによる福音書 202026

「イエスは言われた。『それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』」(ルカによる福音書20:25

 

自分を陥れようとする人々の質問に対して主イエスは「皇帝のものは皇帝に…返しなさい」とこの世への責任を、「神のものは神に返しなさい」と神への責任を果たすべきことを告げました。

 

①この世への責任。

「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。・・今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」(ローマ13:1) この聖書の示す原則を継続するために「願いと祈りと執り成し…王たちやすべての高官のためにもささげなさい。」(テモテへの手紙一2:12) 私たちのこの世への責任はこの世のために祈り続けることです。

 

②神への責任。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。」(ヨブ1:21) ヨブの言葉は生も死も、良きも悪しきも神のものであると教えています。ダニエルはこの世に関わり出世しましたが、王以外に願うなら死刑になる法律が発布された時も祈り続けました。それは神への責任と共にこの世のために祈り続けて、この世への責任も果たすためでした(ダニエル6:2124)


2020719日 礼拝 岡田順一牧師

「人生のぶどう園」ルカによる福音書 20919

「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。」(ルカによる福音書20:9

 

①神の創造された素晴らしい世界。

「ある人がぶどう園を作り」ある人とは神のこと、ぶどう園は私たちの住む世界です。「垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」(マルコ12:1) 神は世界を人間のために作られました。「わたしの愛する者のために…良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り 良いぶどうが実るのを待った。」(イザヤ5:12) 私たちの住む世界は神が愛する私たちのために作られた素晴らしい世界なのです。

 

②神の人間への素晴らしい信頼。

「これを農夫たちに貸して長い旅に出た。」農夫たちとは私たち人間です。神は世界を人間に託されました。しかし人間は神の遣わした僕、預言者たちを3度も迫害し神の信頼を裏切りました。にもかかわらず神は独り子キリストを世に遣わしました(13)。人間はキリストを十字架につけました(1415)。神は人間を愛の忍耐をしてまで信頼しました。この神の信頼に応える道は私たちも愛による忍耐を働かせることです。


2020712日 礼拝 岡田順一牧師

「主イエスの権威」ルカによる福音書 2018

「言った。『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。』」(ルカによる福音書20:2

 

①人の権威の危うさ。

祭司長たちは神殿における権威を握っていました。祈りの家であるべき神殿を彼らは強盗の巣にしていました。それは人の権威の過ちです。彼らの過ちを指摘した主を彼らは殺そうと謀りました(19:47)。人の権威の危うさを知るべきです。

 

②神の権威に従わない罪深さ。

祭司長たちが主イエスの権威を認めなかった理由は第一に自分たちに過ちは無いとする自己義認です。第二にへりくだれない心です。彼らは主イエスの指摘に自らを反省、吟味し、神様の御前に「自分のやってきたことが良かったのか、間違っていたのか」祈りの中に神に問うべきでした。

 

神の権威に従う幸い。

「人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があった」(4:32) 神の権威に従うとは神の言葉に従うことです。「権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは」(4:36) 神の権威には災いを遠ざける力、最善をなす力があります。生も死もこの神の権威のもとにあると信じましょう。


202075日 礼拝 岡田順一牧師

「主イエスの涙」ルカによる福音書 194148

「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。」(ルカによる福音書19:4142

 

①心の平和のための涙。

「イエスはその都のために泣いて、言われた。『…お前も平和への道をわきまえていたなら…今は、それがお前には見えない。』」(4142) 主イエスはエルサレムの人々が平和への道を見失っていることに涙を流されました。聖書における平和は第一に人と人との平和。争いのないこと。第二に神と人との平和。神の救いにあずかること。第三に神による心の平和。「主は彼らの救い主となられた。彼らの苦難を常に御自分の苦難とし…常に彼らを負い、彼らを担ってくださった。」(イザヤ63:89)私たちの苦難を御自分の苦難としてくださる方による心の平和です。

 

②神の訪れを知らせるための涙。

エルサレムはローマによって破壊されました。その理由は「神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」(44)と主は言われました。訪れとは「見守る」という意味です。主イエスは私たちの現状に時には愛の涙を流しながら、見守っていてくださることを忘れてはなりません。