メッセージ 2019年7月〜9月


2019929日 礼拝 岡田順一牧師

「悔い改めの必要」ルカによる福音書 1319

「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」(ルカによる福音書13:5

 

①悔い改めの要素。

悔い改めには三つの要素があります。

第一に罪の自覚。悔い改めの知識的要素。「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており」(ヨハネ一1:8) 正直に自分の罪を自覚すべきです。

第二に罪への悲しみ。悔い改めの感情的要素。罪はその人を永遠の滅びに向わせ、他者に災いをもたらし、神を悲しませる事実を知って自らの罪を悲しむべきです。

第三に神に従う決心。悔い改めの意志的要素。罪を持ったままで神に従うことは出来ません。

 

②悔い改めを受けとめる神。

第一に聖なる神。ローマ総督ピラトの政策に反対し処刑された人々、ピラトに協力して事故で亡くなった人々について人々は他の人より罪深い者だと疑いました。しかし主は「決してそうではない」と言われました。悔い改めないなら誰でも聖なる神が裁かれます。

第二に愛なる神。主はいちじくの木のたとえ(69)を通して罪人が悔い改めることを神は忍耐し犠牲を払い愛と恵みを注いで待っておられることを告げました。


2019922日 礼拝 岡田順一牧師

「何が正しいのか」ルカによる福音書 125459

「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。」(ルカによる福音書12:57

 

①人生には良い時も悪い時もある。

主は天気のたとえ(5455)を通して、雨は砂漠地帯には恵みの雨となるが、南風は作物を枯らすこともあると話され、裁判のたとえ(5859)では人に訴えられることもあるが、必ず仲直りする道があると教えられました。そのように誰の人生にも、良い時も悪い時もあります。ですから自分だけが悪いことばかりだと卑下したり他者を羨むことは誤っています。

 

②人生における霊的判断力の必要。

主は人々に何が正しいかを判断することを求めました(57)。罪を犯したら悔い改める、恵まれたら感謝する、試練の時助けを神に祈る、これらは正しい判断です。人に訴えられた時その人を裁くのではなく、仲直り出来るように祈ることが正しい判断です。その時弁護者なる聖霊が働いてキリストの平和をもたらします(ヨハネ14:2627)。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリント二6:2)です。いかなることも神は恵みと救いの出来事に変えてくださると信じることが正しい判断です。


2019915日 召天者記念礼拝 岡田順一牧師

「神の御顔を求める祈り」詩編 80120

「神よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。」(詩編80:4

 

①神に立ち返る恵み。

「神よ、わたしたちを連れ帰り」と詩人は祈りました。「連れ帰る」とはあるべき所に立ち返ることです。神を「ヨセフを羊の群れのように導かれる方」(2)と詩人は呼びました。ヨセフは度重なる試練の中にも神と共に歩みました。私たちがあるべき所とはヨセフのように神と共に歩むことです。信仰の先達たちは神と共に歩み、あるべき所にあり続けて遂に御国に凱旋しました。私たちも最後まで神と共に歩んでまいりましょう。

 

②神の御顔を仰ぐ恵み。

「御顔の光を輝かせ」と詩人は祈りました。御国において私たちが拝する神の御顔はどのようなお顔でしょうか。怒っているのか。嘆いているのか。エルサレム・バイブルは「神よ、私にあなたのスマイルを見せてください」と訳しています。私たちが救われて神の子になっているとすれば父なる神は私たち神の子たちをスマイルで御国にお迎えくださるに違いありません。どうか神の子の確信を持って神の御顔を仰ぎましょう。


201998日 長寿の恵み感謝礼拝 岡田順一牧師

「人生を恵みによって導く神」詩編 105124

「主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ 首に鉄の枷をはめることを許された 主の仰せが彼を火で練り清め 御言葉が実現するときまで。」(詩編105:1819

 

①感謝に至らせる恵み深き神。

旧約の信仰者たちは、信仰生涯において4つのことを心にとめていました。

「主に感謝をささげて御名を呼べ」(1) 第一に神への感謝です。

「驚くべき御業をことごとく歌え」(2) 第二は神の驚くべき御業です。

「主を求める人よ、心に喜びを抱き」(3) 第三に主に求める祈りです。

「千代に及ぼすように命じられた御言葉を」(8) 第四に神の御言葉です。

私たちも神への感謝、神の驚くべき御業、神への祈り、神の御言葉を忘れることなく常に心にとめ、長寿の恵みを感謝する者でありましょう。

 

②試練を恵みに変える恵み深き神。

「主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ 首に鉄の枷をはめることを許された」主はヨセフにあえて試練を与えました。その目的は「彼を火で練り清め」彼の信仰の成長のため「御言葉が実現するときまで」神の計画の実現のためでした。信仰生涯において、神は試練を恵みに変えてくださいます。


201991日 礼拝 岡田順一牧師

「恵みの火をもたらす神」ルカによる福音書 124953

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」(ルカによる福音書12:49

 

主イエスが地上に投じ、用いられた火とはいかなる火でしょうか。

 

①御言葉の火。

「聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(24:32) 十字架上に死を遂げられた主イエスを見限った弟子たちに復活の主は共に歩み御言葉を語られました。御言葉が彼らの冷えきった心に火をもたらし信仰が燃え上がり、彼らは信仰者としてもう一度立ち直ることが出来ました。

 

②試練の火。

「いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精練され」(ペトロ一1:67) 神は火のような試練を私たちに与えてその信仰を精練し、成長させ本物の信仰者にしてくださいます。

 

③聖霊による火。

「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5) 信じて洗礼を受ける者は救われ、その人の内に聖霊がもたらされます。信仰者の内に燃える聖霊の火は信じて祈る者に必ず答えに至らせてくださいます。


2019825日 礼拝 岡田文美佳副牧師

「神の救いを知る」ヨナ書 2111

「救いは、主にこそある。」(ヨナ書2:10

 

ヨナ書2章において、神様の御前にでて祈るヨナの姿を学びます。

 

①神様の特別な備え。

「主は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。」(1:17新改訳)ヨナは2章に至るまで神様と向き合うことを避けてきました。私たちも、神様と向き合うことから背を向けてしまうことがあります。主は、できない苦闘も抱えたまま向き合うことを切に望まれます。そしてその場所を備えてくださいます。

       

②主の前にくずおれる。

ヨナは、自分の中に蓄えられていた詩編の御言葉が彼の祈りとなりました。魚の腹の中という、暗闇のなか、死の淵での叫びと深い求めに主は向き合ってくださいました。

 

③主の救いを知る。(再献身へ

神様はヨナの祈りに応えてくださり、滅びの穴から救い出してくださいました。ヨナは神様の救いの深さを知りました。そして、神様のご計画の中に再び立たせていただきました。神様は、私たちの信仰が成長する中で、救いの豊かさを経験させてくださり、主の恵みを語る者として整えてくださいます。 


2019818日 礼拝 岡田順一牧師

「束縛からの解放」ルカによる福音書 131017

「この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」(ルカによる福音書13:16

 

①解放されるべき束縛の現実。

十八年も病の束縛にあった人を主は解放されました。その結果「神を賛美した」(13)と、心から神を賛美できる者となりました。心から神を賛美できないなら、何か束縛があるのです。第一に罪の束縛。「イエスによって…罪と死との法則からあなたを解放した」(ローマ8:2) 罪赦され、永遠の命によって天への確信が賛美となります。第二に病の束縛。私たちは神の作品であると信じる時、創造主の癒しと最善が賛美となります。第三に弱さの束縛。サタンは私たちの弱さを指摘し、恐れを抱かせます。その時私たちは、共におられる主を賛美すべきです。

 

②束縛から解放させる信仰。

病に束縛されていた婦人は「婦人よ、病気は治った」(12)との主の言葉を信じました。「その上に手を置かれ」(13) 主の祈りを信じました。「この女はアブラハムの娘なのに」自分の価値を認めてくださる主の愛を信頼しました。


2019811日 礼拝 岡田順一牧師

「キリストの再臨の備え」ルカによる福音書 123548

「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。」(ルカによる福音書12:37

 

①主の再臨において救いの完成に至る人の恵み。

「主人は彼に全財産を管理させるにちがいない」(44) 全財産とはすべてのものが備えられている神の国のことです。救いの完成に至るよい僕には祈り求めるなら必ず与えられるという恵みの領域が備えられます。

 

②主の再臨において救いの完成に至る人とは。

第一に「腰に帯を締め」た人です(35)。これは奉仕の姿勢です。霊的奉仕でも肉体的奉仕でも、自分の何かよりも主のために生きる人です。第二に「ともし火をともして」歩む人です(35)。ともし火とは福音の光です。日常生活においてキリストを証しし、キリストを伝える宣教の情熱をもった人です。第三に「忠実で賢い」人です(42)。「主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである」(43)忠実な人とは、主人がいてもいなくてもその奉仕の姿が変わらない人です。忠実な僕として歩みましょう


201984日 礼拝 岡田順一牧師

「神の国をくださる神ルカによる福音書 122234

「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカによる福音書12:3132

 

①恐れを取り除く神。

主は「思い悩むな」(22,25,26,29)と繰り返し弟子たちに言われました。この言葉は「恐れるな」と同じ意味です。思い悩みが心を支配する時、その人の信仰は成長しません(8:14)。「思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈り」(フィリピ4:6) 思い煩いに勝利する道は感謝の祈りです。弟子たちの思い悩みの原因は「命のこと」(22)「寿命」(25)でした。主は信じる者に永遠の命を与えるために十字架にかかり復活されました。その主への感謝を忘れないことこそ、恐れを取り除く道です。

 

②神の国をくださる神。

神の国とは神の恵みの支配です。主イエスは神の国からこの世に来てくださり、神の恵みをこの世にもたらされました。同様に父なる神は神の国を求める者に、この世では不可能と思えることも神の国の恵みによって喜んで可能にしてくださいます。なぜなら求める私たちが神の子だからです。


2019728日 礼拝 岡田順一牧師

「まことの豊かさ」ルカによる福音書 121321

「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカによる福音書12:21

 

①貪欲に支配される人間。

「一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」(15)

「貪欲」とは物欲、肉欲によって持っているにもかかわらずもっと欲しいと思う心です。その貪欲に用心しなさいと、主は特定の人ではなく一同に言われました。

 

②人生の楽しみの動機。

仕事に成功し「これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。食べたり飲んだりして楽しめ」と言った人に神は「愚かな者よ」と言われました(1920)彼は仕事に成功し、蓄えたのもすべて私である。私が私の人生を楽しませるんだと考えました。その行き着く所は貪欲による罪の危険です。

 

③まことの豊かさ。

神は愚かな者に「今夜、お前の命は取り上げられる」(20)と言われました。「取り上げられる」とは「返還を求められる」という意味です。信仰生涯を全うした人は感謝にあふれて主に命をお返ししますが、自分に執着する人は神から命の返還要求をされてしまいます。神の前にこそ豊かでありましょう。


2019721日 特別伝道礼拝 島 隆三牧師

「私の福音」テモテへの手紙 二 2813

「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」(テモテへの手紙 二 2:8 口語訳)

 

パウロは「これがわたしの福音である」と断言しましたが、私たちはこのように言い切れる福音を握っているでしょうか。内村鑑三と中田重治という二人のキリスト者を通して学びましょう。

 

①内村鑑三。

札幌農学校の二期生。渡米後、失望する内村鑑三にアマースト大学のシーリー総長は「君は君の内のみを見るからいけない。なぜ、十字架の上に君の罪を贖いたまいしイエスを仰ぎ見ないのか」と言われ、十字架を仰いで平安を得たのでした。

 

②中田重治。

青森県弘前メソヂスト教会で救われ、本田庸一牧師の教えを受ける。渡米後、ホーリネス経験をし、..シンプソンの、救い主、きよめ主、いやし主、再臨の主とキリスト中心の四重の福音に感化を受け、中田重治はそれを私たちの経験におきかえて、新生、聖化、神癒、再臨を四重の福音とし、ホーリネス教会を創設した後、その中心教理としてこれを伝えました。


2019714日 礼拝 岡田順一牧師

「不幸を幸せにする信仰」ルカによる福音書 114554

「イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。』」(ルカによる福音書11:46

 

①人生の重荷を除かれた人の幸い。

律法学者たちは、律法を増し加えて人々を律法主義に陥らせました。「わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、霊に従う新しい生き方で仕えるようになって」(ローマ7:6)ここに幸いがあります。

 

②回心する備えのある人の幸い。

「あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているから」(47)

先祖たちの罪について墓を建てて悔い改めは完了したとするのではなく、あらゆる機会を悔い改めと回心する備えの出来ている人は幸いです。

 

福音を伝える人の幸い。

「あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ…入ろうとする人々をも妨げてきたからだ」(52)

知識の鍵とは、救いの道を知る鍵です。律法にどれ程熱心でも、御言葉の中に救い主を見出だすことこそ幸いなのです(ヨハネ5:39)。


201977日 礼拝 岡田順一牧師

「内側をきよめる神」ルカによる福音書 113344

「自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。」(ルカによる福音書11:3940

 

①奉仕の動機のきよさ。

「ファリサイ派の人々は不幸だ…正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ」(42)

ファリサイ派の人々は律法を厳格に守りましたが、その動機において神の愛ときよさをおろそかにしました。奉仕の動機のきよさが大切です。

 

②誇りのきよさ。

「ファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好む」(43)

ファリサイ派の人々は自らを誇りましたが、キリスト者は「誇る者は主を誇れ」(コリント一1:31)であり、「喜んで自分の弱さを誇りましょう…なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(コリント二12:910)。

 

無意識のきよさをも求める。

「あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない」(44)

気づかない無意識の過ちに対しても、悔い改めの心をもち、自らを点検し、無意識のきよさを求めて霊的に成長しましょう。