2016年12月25日 礼拝 岡田順一牧師
「光を証しする人」ヨハネによる福音書 1章6〜34節
「その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。」(ヨハネによる福音書1:6~7)
①使命を自覚したヨハネ。
主イエスのために備えをすることがヨハネの使命でした。その使命を果たすために「神の言葉が荒れ野で…ヨハネに降った。」(ルカ3:2)私たちも一年を歩み通すことが出来ましたのは神の言葉のゆえであったことを感謝しましょう。
②キリストを証ししたヨハネ。
「彼は光ではなく、光について証しするために来た」(8)キリストを証しする目的は、その証しを聞いた人がキリストを「まことの光」(9)として受け入れることです。この一年もまことの光である主に導かれたことを感謝しましょう。
③キリストを崇めるヨハネ。
ヨハネは「言」であるキリストに対して自分のことを「荒れ野で叫ぶ声である」(23)と言いました。「言」は残り「声」は消えていきます。ヨハネはキリストについて「わたしはその履物のひもを解く資格もない」(27)と言いました。それほどにクリスマスに誕生された方が素晴らしいからです。
2016年12月18日 クリスマス礼拝 岡田順一牧師
「飼い葉桶の中の救い主」ルカによる福音書 2章1〜12節
「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカによる福音書2:12)
①新生の恵みを与えるための誕生。
「あなたがたのために救い主がお生まれになった」(11)
クリスマスの事実は「信じる人々には神の子となる資格」(ヨハネ1:12)が与えられるためだったのです。
②最高の場所に招くための誕生。
「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」という救い主の最低の誕生は「あなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(ヨハネ14:3)との御国という最高の場所に私たちを招くためでした。
③飼い葉桶における救い主誕生に学ぶ生き方。
第一に上辺で人を判断しない生き方です。占星術の学者たちは救い主は王宮に生まれると思いヘロデ王を訪ねましたが、星によって飼い葉桶の中の救い主に導かれました。彼らは上辺で判断することなく救い主を受け入れました。第二に初めの状態で終りを判断しない生き方です。飼い葉桶から始まった救い主の生涯は全人類に救いの道を開き御国への凱旋に至りました。主が完成に至らせてくださいます。
2016年12月11日 アドベント第三主日礼拝 岡田順一牧師
「メシアと聖霊」イザヤ書 11章1〜5節
「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。」(イザヤ書11:1~2)
救い主に注がれた主の霊は救い主を信じる人にも注がれます。
①知恵と識別の霊。
「目に見えるところによって裁きを行わず 耳にするところによって弁護することはない。」(3)
主の霊は近視眼的な判断ではなく、私たちの過去、現在、未来を見渡し、計算に入れながら、今の時を最善に導いてくださる霊なのです。
②思慮と勇気の霊。
「その日が来れば…そのとどまるところは栄光に輝く。」(10)
イスラエルは民が罪を犯したために異国に支配されていました。「その日が来れば」とは民が罪を悔い改める日です。その日には主の霊によって異国に勝つ力が与えられます。
③主を知り、畏れ敬う霊。
「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。」(3)
「満たされる」とは楽しみ、喜びの意味があります。主の霊は神が何を喜ばれ、何を喜ばれないのかを示してくださいます。主の霊に満たされた歩みは神に喜ばれる祝福の歩みとなります。
2016年12月4日 アドベント第二主日礼拝 岡田順一牧師
「メシアの性格」イザヤ書 9章1〜6節
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ書9:5)
①驚くべき指導者。
主イエスは私たちの最高のカウンセラーです。その第一の理由は私たちを知り尽くしておられること(詩編139:1~5)。第二の理由は私たちを生かす言葉を語ってくださるからです。
②力ある神。
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)
主は人生において必ず経験する苦難に勝利する力を与えてくださいます。
③永遠の父。
ルカ15章の放蕩息子にとって彼が家にいる時も、家を飛び出した時も、無一文で家に帰った後も父は父であり続けました。私たちにとっても主はいつでも父であってくださいます。
④平和の君。
主イエスが「わたしの平和を与える」(ヨハネ14:27)と言われた平和とは、戦いや苦しみがないことではなく、その直中にあってもそれを乗り越えることの出来る心の安らぎなのです。
2016年11月27日 アドベント第一主日礼拝 岡田順一牧師
「インマヌエルによる救い」イザヤ書 7章1〜14節
「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7:14)
①危機における信仰。
南ユダ帝国が攻められた時、主は預言者イザヤを通して「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。…心を弱くしてはならない」(4)とアハズ王に告げました。危機的状況の中にあっても主を信頼すべきことを告げたのです。
②一方的信仰のしるし。
イザヤはアハズ王に「わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる」(14)と言われ、そのしるしこそが「おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ」との預言だったのです。その預言の言葉がマタイ1:23に引用されているようにクリスマスの日に実現されました。
③インマヌエルによる救い。
「インマヌエル」とは「神は我々と共におられる」という意味です。それが私たちに実現するためには「静かにしていなさい」との神の言葉を実行することです。静まるとは神に対して自分を全くおゆだねすることです。いかなる時にもインマヌエルなる神を信頼していく所に救いがあります。
2016年11月20日 礼拝 岡田順一牧師
「神のいます世界」創世記 34章1〜31節
「それはしてはならないことであった。」(創世記34:7)
①神のいない生活。
「どんなに高い結納金でも贈り物でも、お望みどおりに差し上げます」(12)ヤコブの娘ディナを無理に辱めたシケムとその父ハモルはお金で解決しようとしました。それに対して信仰者であるはずのヤコブの息子たちは男性が皆で割礼を受ける(15)という条件をかなえれば申し出を受け入れるとだまし、ハモル一家を皆殺しにしてしまいました。信仰者がいても神のいない生活をするなら、いかに悲劇を生み出すことでしょうか。
②神のいます世界。
神のいない世界にも愛は存在しました。しかしそれは愛によって完結しない愛です。シケムはディナを愛しましたが、その結末は辱めでした。ディナを兄たちは愛しましたが、その結末は暴力と復讐でした。愛は愛によって完結しなければ命を持ちません。もうすぐクリスマスを迎えますが、神は独り子をこの世に遣わして神の愛を現され、十字架と復活によって愛を完結されました。私たちはこの神の愛を注がれた者としてこの世にあって神の愛を現し神のいます世界を生きる者でありましょう。
2016年11月13日 礼拝 岡田順一牧師
「人を変える神」創世記 33章1〜11節
「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。」(創世記33:10)
人間関係が変えられる三つの秘訣をヤコブから学びましょう。
①神との関係の改善。
こじれてしまった人間関係の改善の道は相手よりも自分が変えられることです。自分が変えられるためには神との関係の改善が必要です。「神の使いと争って勝ち 泣いて恵みを乞うた」(ホセア12:5)ヤコブは祈りの中で泣いて自分が変えられることを神に求め、ヤコブからイスラエルに変えられました。
②自分を通しての和解。
「ヤコブは…先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。」(3)
神との祈りの格闘をする前には物で兄と和解しようと思っていましたが、祈った後のヤコブは変えられた自分を兄に示すことを通して和解しようとしました。
③神に栄光を帰する。
エサウが「あの多くの家畜は何のつもりか」(8)とヤコブに聞いた時、ヤコブは「神がわたしに恵みをお与えになった」(11)と神に栄光を帰しました。神第一に変えられたヤコブには恐ろしいと思えた兄の顔が神の御顔のように見えました。