2023年6月25日 弾圧記念礼拝 岡田順一牧師
「正しく裁く神」詩編 7篇1〜18節
「神こそ正しき方 心と思いを試す方。神はわが盾。心のまっすぐな人を救う方。神こそ正しく裁く方 神は日ごとに憤りを表される方。」(詩編7:10〜12)
①逃れ場である神。
「獅子のように私の魂を引き裂き もぎ取る者がいても 誰も助け出してくれないでしょう。」(3)獅子とは悪魔を表しています。悪魔からは誰も助けることは出来ません。「わが神、主よ、私は御もとに逃れました。」(2) しかしダビデは、神を私の逃れ場として、悪魔に対して勝つことが出来ると信じました。
②味方である神。
「わたしに味方して奮い立ち」(7新共同訳) ダビデは神を味方として信じました。「神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか。」(ローマ8:31) 神が味方である根拠は神の愛です。「私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。」(ローマ8:37)
③正しく裁く神。
目の前の現実は、正しい者が苦しみ、不正な者が栄えているように思えても「神こそ正しく裁く方」(12) とダビデは信じました。その神が最終的には「お前は正しい、とがめるところはない」(9新共同訳) と宣言してくださるのです。
2023年6月18日 礼拝 岡田順一牧師
「教会と聖霊なる神」コリントの信徒への手紙一 12章12〜30節
「神は劣っている部分をかえって尊いものとし、体を一つにまとめ上げてくださいました。それは、体の中に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合うためです。」(コリントの信徒への手紙一12:24~25)
①教会の一部を担うための賜物。
「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。」(27) 聖霊は一人一人に異なる賜物を与えておられます。それはキリストの体なる教会の一部を担うための賜物であって、教会に不必要な人は一人もいません。
②教会に調和をもたらす聖霊。
「神は…体を一つにまとめ上げて」(24)(口語訳「からだに調和をお与えになった」)「調和」とは「ブレンド」「シンフォニー」の意味です。教会において一人一人が結び合わされる時、それがブレンドされ素晴らしい味わいとなり、また素晴らしいシンフォニーを奏でることが出来ます。
③教会にいたわりの心を与える賜物。
「各部分が互いに配慮し合うためです。」配慮し合うとは隣人をいたわる心です。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(26) この心が必要です。
2023年6月11日 特別伝道礼拝 佐藤信彦牧師(静内新生キリスト教会)
「知られる喜び、望み」詩編 139篇1〜24節
「神よ、私を調べ、私の心を知ってください。私を試し、悩みを知ってください。御覧ください 私の内に偶像崇拝の道があるかどうかを。とこしえの道に私を導いてください。」(詩編139:23〜24)
私たちの信仰は神がイエス・キリストがどのような素晴らしい方であるかを知り続け、信頼して歩む恵みがある。139篇は、ダビデの神理解が祈りとなっている。神の支配と導きに委ねる信仰の喜び、信頼が記されている。
a 神を知り続ける
①すべてを知っておられること(全知)。ダビデは全てを知っておられるお方が私を永遠の命に導いて下さいと(1~6)
②どこにでも居られる方(遍在)。地理的に時間的に限定ない祈りの聞き手助けであると(7~12)
③私たちを造られた方(創造者)。主権をもって人を造り存在させられるお方。(13~18)
b 神を畏れ敬う生活をし、すべてを望む。(23~24)
天の御国に迎えられ相応しい者として下さる恵み(テサロニケ一5:23、24) が約束されている。ダビデは自らの赦された経験から、すべてを委ねて祈っている。私たちもダビデの祈りを模範として、同じ信仰姿勢をもって歩みたく願います。
2023年6月4日 礼拝 岡田順一牧師
「新しい天と新しい地」イザヤ書 65章17〜25節
「見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。先にあったことが思い出されることはなく 心に上ることもない。」(イザヤ書65:17)
①神による新しい創造。
「私は新しい天と新しい地を創造する。」今、私たちが生きている世界は、創世記1章に記されている古い創造による世界です。神は全宇宙的新創造を計画されています。
②新創造の時。
神による新創造の時とは、主イエスの再臨の時です。「主は約束を遅らせているのではありません。一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(ペトロの手紙二3:9) 新創造の地に一人でも多くの人が住むことが出来るように神は愛をもって忍耐しておられます。
③新創造の時とは。
「私は…必ず報復する。…厳しく報復する。」(6) 新創造の時は、神を信じない者には裁きの時となります。しかし神を信じる者にとっては、神に大切にされ、永遠の命に生き、神の祝福にあずかり、神と共に歩み、真の平和の中に生きることができます(18~25)。信じる者として新創造の時を迎えましょう。
2023年5月28日 ペンテコステ礼拝 岡田順一牧師
「聖霊による賜物」コリントの信徒への手紙一 12章1〜11節
「神の霊によって語る人は、誰も『イエスは呪われよ』とは言わず、また、聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言うことはできません。」(コリントの信徒への手紙一 12:3)
聖霊なる神は、教会への最高の賜物です。聖霊なる神が教会に満ちる時、教会にどういう素晴らしいことが起こるでしょうか。
①教会が一つとされる。
「私たちは皆、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの霊によって一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったからです。」(13) 聖霊が教会に集う様々な違いのある一人一人を、一つにしてくださいます。
②主イエスを信じる人が起される。
「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言うことはできません。」(3) イエスを主と告白することは、その人の意思を越えて聖霊の導きです。主イエスが弟子たちに「あなたがたは私を何者だと言うのか。」と聞いた時ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です。」と告白しました。主はペトロに「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である。」と言われました(マタイ16:15~17)。
2023年5月21日 礼拝 岡田順一牧師
「父なる神への祈り」イザヤ書 64章1〜11節
「あなたは私たちの父です。…主よ、あなたは私たちの父です。…しかし主よ、今、あなたは私たちの父。」(イザヤ書63:16,64:7)
預言者イザヤは、民に主なる神を「私たちの父」として信じ、父なる神へ祈ることを勧めました。主なる神を私たちの父として信じるとはどういうことでしょうか。
①私は神の子であるとの信仰告白。
民はバビロン捕囚の苦しみによって、自分が神の子である自覚が消えかかっていました。今の現状がどうであっても、あなたは私たちの父と告白すべきです。
②希望に生きるため。
「見ておられる父が、…報いてくださる。…あなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。」(マタイ6:6,7:11)父なる神が祈りに応えてくださるとの希望に生きることができます。更には神の子として御国に凱旋する希望が与えられます。
③隣人愛に生きるため。
イザヤは「私たちの父」と、複数形で主なる神を父と信じることを勧めました。主なる神は私たちに敵対する人の父でもあることを忘れずに、隣人愛に生きましょう。
2023年5月14日 母の日礼拝 岡田順一牧師
「祈りに満ちた家庭」使徒言行録 12章1〜17節
「ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」(使徒言行録12:12)
①危機における家庭の祈り。
「ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが献げられていた。」(5) 指導者であるペトロが捕らえられた時、教会における祈りが献げられただけでなく、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家においても祈りが献げられていました(12)。危機において祈る家庭が必要です。
②家庭の祈りに応える神。
「ペトロは我に返って言った。『…主が天使を遣わして…私を救い出してくださった』」(11) 神は教会と家庭の祈りに応えて天使を遣わしてペトロの救出という奇跡を起されました。家庭の危機に際しての祈りに神は応えられます。
③家庭の祈りの祝福。
マルコによる福音書を記したマルコは自らの弱さを記しています(マルコ14:51~52)。またマルコはバルナバとパウロに同行していましたが帰ってしまいました(13:13)。しかし母マリアの祈りによって役に立つ存在となりました(テモテ二4:11)。
2023年5月7日 礼拝 岡田順一牧師
「私たちのために苦しむ神」イザヤ書 63章7〜10節
「彼らが苦しむときはいつでも、主も苦しまれた。御前に仕える御使いによって彼らを救い その愛と憐れみによって彼らを贖い昔からずっと彼らを負い、担ってくださった。」(イザヤ書63:9)
「彼らが苦しむときはいつでも、主も苦しまれた。」罪を犯した民に対しても、神は慈しみを注がれました(7)。それは民が苦しむ時、神も共に苦しむことを通して現されました。「イスラエルの人々は重い苦役にあえぎ、叫んでいた。重い苦役から助けを求める彼らの叫び声は神のもとに届いた。…神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」(出エジプト記2:23,25) エジプトに苦しむ民の祈りは神に届き、神は民の苦しみをご自身の苦しみとして民を救われました。迫害者であったサウロに復活された主イエスは「私は、あなたが迫害しているイエスである。」と名乗られました。(使徒言行録9:5) サウロは主イエスを直接に迫害したことはありませんでした。しかし迫害されて苦しむ一人一人と主は共に苦しんでおられたのでした。今日も神は私たちと共に苦しんでくださいます。
2023年4月30日 礼拝 岡田順一牧師
「回復させる神」イザヤ書 62章1〜12節
「あなたは二度と『捨てられた女』と 言われることはなく その土地は二度と『荒廃した地』と 言われることはない。あなたは『私の喜びは彼女にある』と呼ばれ その土地は『夫を持つ者』と呼ばれる。」(イザヤ書62:4)
①回復させてくださる神。
神に対して罪を犯した民は、神の助けを受けることが出来ず、バビロンに大敗し、彼らは「捨てられた女」と呼ばれました。ところがその民に対して神は「彼らは聖なる民、主に贖われた人々と呼ばれ あなたは、尋ね求められる女 見捨てられることのない町と呼ばれる。」(12) と回復の預言をされました。「主に贖われる」とは十字架を指し示しています。やがて真の救い主によって全き回復がもたらされるのです。
②神による回復を手にするために。
「私は見張りを置いた。昼も夜も、一時も口を閉ざしてはならない。…決して黙ってはならない。…主が休まれないようにせよ。」(6~7)「見張り」とは執り成しの祈りをささげる人です。神を休ませないほどに、日々に祈り続ける人こそ、神による全き回復を手に出来る人です。
2023年4月23日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「新しく造られた者の使命」コリントの信徒への手紙二 5章17〜21節
「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。」(コリントの信徒への手紙二5:17)
イエス・キリストを信じるとき、私たちは二つのアイデンティティ(存在意義)が与えられます。
①新しい者とされる。
神様は、古い自分、罪にあえぐ自分から「まさに」「見よ」と強調される私に、「すべてが新しく」(17・新改訳) という私に変えてくださいます。
②和解の福音を委ねられた使者となる。
罪赦され、神様との和解を与えられた私たちは、「キリストに代わって使者の務めを」(20) 与えられました。「大使」(20・リビングバイブル) は異国にあって、本国の全権を担います。神様から福音を託されたのです。そして、この尊い働きを神様は共にいて、お助けくださいます。
主にある尊い使命を今日も、主に助けられつつ、主と共に果たさせていただきたいと願います。
2023年4月16日 礼拝 岡田順一牧師
「恵みをもたらす救い主」イザヤ書 61章1〜11節
「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため 主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み 捕らわれ人に自由を つながれている人に解放を告げるために。」(イザヤ書61:1)
①聖霊による恵み。
「主なる神の霊が私に臨んだ。」(1) イザヤはやがて来られる真の救い主キリストによってもたらされる恵みは、聖霊なる神の御業であると記しています。「神はこの方に聖霊と力を注がれました。イエスは…善い行いをなし、」(使徒言行録10:38)
②良い知らせを告げる恵み。
「良い知らせを伝えるため 主が私を遣わされた。」(1) キリストがこの言葉を朗読した時「イエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』…皆は…その口から出て来る恵みの言葉に驚」(ルカ4:21~22) いた。
③恵みの源であるキリスト。
「すべての嘆く人を慰めるために。」(2) すべての人である全人類に恵みをもたらすためにキリストは来られました。キリストを信じる人は「主の恵みの年」(2) (レビ記25:8~13) が、その人の生涯の中に実現していくのです。
2023年4月9日 イースター礼拝 岡田順一牧師
「復活されたキリスト」ヨハネによる福音書 20章1〜18節
「マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中をのぞくと…白い衣を着た二人の天使が…見えた。…こう言って後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。」(ヨハネによる福音書20:11〜14)
「マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。…彼らに告げた。『誰かが主を墓から取り去りました。』」(1~2)
マグダラのマリアは、主イエスを慕っていましたが、空の墓を見た時に、主の復活を信じることが出来ませんでした。「マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中をのぞくと」(11) マリアは墓から去ることをせず、泣きながらも墓の中をのぞきました。マリアは最初、空の墓を確認しました。さらに二人の弟子に知らせ、二人と一緒に再び空の墓を確認しました。にもかかわらず彼女は三度目墓の中をのぞいた時「白い衣を着た二人の天使が…見えた。…こう言って後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。」(12,14) マリアの諦めない信仰の求めが、天使と復活の主を見させたのです。
2023年4月2日 棕櫚の主日礼拝 岡田順一牧師
「真の救い主イエス・キリスト」イザヤ書 53章5〜12節
「多くの人の罪を担い 背く者のために執り成しをしたのはこの人であった。」(イザヤ書53:12)
イザヤの預言がキリストによってどのように成就したでしょうか。
①キリストの身代わりの事実。
「私たちすべての過ちを 主は彼に負わせられた。」(6) (ローマ4:25、コリント二5:21)
②罪人である人間の姿。
「私たちは皆、羊の群れのようにさまよい それぞれ自らの道に向かって行った。」(6) (マタイ9:35~36)
③キリストの従順。
「彼は虐げられ、苦しめられたが 口を開かなかった。」(7) (マタイ26:62~63、27:12~14、ペトロ一2:20~25)
④罪無き神の独り子イエス・キリスト。
「彼は暴虐をなさず 口には偽りがなかった。」(9) (ペトロ一2:22~23)
⑤父なる神の御心である十字架。
「主は彼を打ち砕くことを望まれ、病にかからせた。」(10) (ヨハネ3:16、17:4、ローマ8:32)
⑥全人類のための十字架。
「私の正しき僕は多くの人を義とし 彼らの過ちを自ら背負う。」(11) (ヘブライ9:28)
⑦キリストの執り成し。
(12) (ルカ23:32~34)