メッセージ 2020年4月〜6月


2020628日 弾圧記念礼拝 岡田順一牧師

「苦難における賛美の祈り」ヨブ記 11322

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記1:21

 

①正しい信仰。

サタンはヨブが神を敬うのは神の祝福のゆえであり、試練にあえば神を呪う者になると言いました(911)。これは誤った信仰です。ヨブは度重なる試練の中にも神への信仰は揺ぎませんでした。試練の中にも信仰を貫くことこそ正しい信仰です

 

②信仰による勝利。

サタンはヨブに繰り返し試練を与えました。その時「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏し」ました(20)。地にひれ伏すとは礼拝の姿勢です。どのような状況にあっても礼拝を守ることこそ信仰による勝利です。

 

賛美に至らせる信仰。

ヨブは「主の御名はほめたたえられよ」と神を賛美しました。試練の中にも賛美に至らせる信仰とは第一に神の御手の中に命があるとの信仰。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」生も死も神の御手の中にあるのです。第二に神の御心への信仰。「主は与え、主は奪う。」祝福を与えるのも、試練によって奪うのも神の最善の御心であるとの信仰です。


2020621日 礼拝 岡田順一牧師

「神のお役に立つ」ルカによる福音書 192840

「だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」(ルカによる福音書19:31

 

主がエルサレム入場に用いた子ろばは、奉仕者としての模範です。

 

①救い主を証しするろば。

「彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく…雌ろばの子であるろばに乗って。」(ゼカリヤ9:9) 救い主はこの世の革命家として軍馬に乗って来るのではなく、平和の象徴である子ろばに乗って来るとの預言がここに成就しました。

 

②キリストは子ろばを必要とされた。

主は子ろばの持ち主たちが貧しい人々でしたが「主がお入り用なのです」と言ったなら必ず従ってくれる人々であることを知っておられました。また子ろばは調教されていない強情なろばでしたが、主はその子ろばを必要とされました。主は従う人、強情さが砕かれた人を用いられます。

 

キリストに用いられる幸い。

主は子ろばの存在を知っておられ、その子ろばに「主がお入り用なのです」と言われました。他ではなくその子ろばを必要とされました。私たちに「主がお入り用なのです」と声がかかったなら光栄さに感謝をもって従うべきです。


2020614日 礼拝 岡田順一牧師

「良い忠実なしもべ」ルカによる福音書 191127

「主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』」(ルカによる福音書19:17)

 

神様から良い忠実な僕として認められる人について学びましょう。

 

①救いを感謝するしもべ。

主人は僕に一人一ムナずつ公平に預けました(13)。神による救い、神の恵、神の愛はすべての人に公平に与えられています。神によって与えられた救いを心から感謝し、神の恵を用いようとした人が良い忠実な僕と認められました。

 

②キリストの期待に応えるしもべ。

一人一ムナずつ渡した主人は「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と言いました(13)。主人であるキリストはご自身の再臨の時まで、キリスト者が神の愛を疑うことなく神の愛に生きることを期待しておられます。

 

神の報いを目指して歩むしもべ。

一ムナで十ムナをもうけた僕は十の町の支配権が、五ムナをもうけた僕は五つの町の支配権が授けられました。思いに勝る恵みが用意されていました。私たちもいかなる困難の中にも神の豊かな報いを目指して歩みましょう。


202067日 礼拝 岡田順一牧師

「人間性を回復させる愛」ルカによる福音書 19110

「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。…人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」(ルカによる福音書19:910

 

①神に求める人間性の回復。

この世の生き物の中で神に祈り、求める存在は人間だけです。食べたり、寝たり、働くことは他の動物もしますが神に求めません。ザアカイはお金も、地位も、学問もありましたが、その生き方は欲望優先の動物並みでした。真摯に主と出会ったことを通して神に求める人間性を回復したのです。

 

②自分を知っておられる方がいることを知る人間性の回復。

主は「ザアカイ」(5)と彼の名を呼ばれました。知っているはずのない自分の名を主が知っていてくださったことを知ったザアカイは、孤独から解放されました。孤独な人こそ失われた存在なのです。

 

愛に生きる人間性の回復。

「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(8) ザアカイの誓いは神と隣人を愛する心から生れました。愛に生きることこそ人間らしい生き方です。


2020531日 礼拝 岡田順一牧師

「聖霊による力」使徒言行録 119

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」(使徒言行録1:8

 

①主イエスと聖霊の一致。

イエスが…使徒たちに聖霊を通して指図を与え、」(12) 主イエスは何事も聖霊に相談して行動しました。「真理の霊が来ると…わたしのものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネ16:1314)聖霊はキリストの御心を私たちに告げてくださいます。主イエスと聖霊は常に一致して私たちを導かれます。

 

②人格者である聖霊。

「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(4) 「前にわたしから聞いた」とはヨハネ1416章における聖霊についての教えです。そこには聖霊が真の教師、証人、弁護者、導き手として御人格者として記されています。

 

力を与えてくださる聖霊。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」 聖霊は私たちにキリストの証人となる力を与えられます。それは雄弁の力や奇跡を行う力以上に一致する力です。「一同は聖霊に満たされ、」(2:4)「ペトロは十一人と共に立って、」(2:14) 聖霊は愛によって一致する力を与えられます。


2020524日 礼拝 岡田順一牧師

「心の目が開かれる幸い」ルカによる福音書 183543

「イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』」(ルカによる福音書18:42

 

①見える可能性。

主は盲人に「見えるようになれ」と言われました。見るの意味は第一に肉体の目で見る。第二に感覚によって物をとらえる。第三に物事を判断する。第四に経験する。第五に世話をする。第六に物事を試す。多くの見える可能性があります。

 

②見える可能性を実現させる方法。

三つのプロセスによって盲人の目は開かれました。第一にチャンスを捕らえる。盲人は主イエスが彼の近くを通られるというチャンスを捕らえました。第二に切実に求めた。彼は主に叫ぶように求め続けました(3839)。第三に主への信頼。「ダビデの子よ」と救い主と信じて求めました。

 

見える可能性を実現させる力。

盲人の熱心な求めに対して主は立ち止まりました(40)。彼の求めが主に届いたのです。主は盲人に「何をしてほしいのか」と聞かれ、盲人は「目が見えるようになりたいのです」と答え(41) 彼の目は開かれました(43)。自らの口で明確な求めをする時に、主の御手の業を見ることができます。


2020517日 礼拝 岡田順一牧師

「十字架の意味」ルカによる福音書 183134

「『彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。』十二人はこれらのことが何も分からなかった。」(ルカによる福音書18:3334

 

①罪の赦しの十字架。

「人の子は…多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)

主イエスは繰返し弟子たちに十字架の話をされましたが、その第一の意味は、御自分の十字架の死によって罪の奴隷である多くの人が解放されるために、神の独り子の命という尊い代価が払われるためでした。私たちはコロナウイルス感染に苦しむ人々の癒しのために祈ると共に、この状況で罪を犯す人々の認罪と悔い改めのために祈るべきです。

 

②担うべき十字架。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(9:23)

主が語られた十字架の第二の意味は、自分の十字架を担うことです。それは「日々」日常のことであり、自分を捨てられた模範であるキリストに倣うことです。キリストは愛に生きました。私たちも今、隣人を愛するために自分に何が出来るかが問われています。


2020510日 母の日礼拝 岡田順一牧師

「私を顧みられる神」創世記 16116

「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、『あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です』と言った。」(創世記16:13

 

①神を待つ信仰。

「あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」(15:4)との神の約束の実現を、アブラムの妻サライは十年間待ちましたが、待ちきれず女奴隷のハガルを通して跡継ぎを得ようとしました(13)。特に母たる人は信仰による忍耐をもって神を待つべきです。

 

②人の計画の不確かさ。

身ごもったハガルサライを軽んじ、つらく当るようになったサライの元からハガルは逃亡しました(46)母たる人は人の計画の不確かさを知り神の計画に立つべきです。

 

神の計画の中を歩む幸い。

荒野をさ迷うハガルに主の御使いは「主があなたの悩みをお聞きになられた」(11)と告げ、ハガルも主を「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と告白しました。逃亡までしたハガルでしたが神はその経験を恵みの証しに変えました。コロナウイルスに翻弄される私たちの経験を神はやがて恵みの証しに変えてくださることを信じましょう。


202053日 礼拝 岡田順一牧師

「富と救い」ルカによる福音書 182430

「イエスは、『人間にはできないことも、神にはできる』と言われた。」(ルカによる福音書18:27

 

①人間にはできない。

主イエスは「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」(24)と言われました。富むことによって人間は神を不必要と思い、さらに見える物に執着していきます。しばしば財産が救いを遠ざけさせます。そのような欲望から勝利することは人間の意思や努力によっては難しいことです。

 

②神にはできる。

神は独り子イエス・キリストを天の豊かな栄光を捨ててこの世に遣わされました。私たち人間を救うために、独り子を貧しい道に歩ませました。富への執着や貪欲によって滅びの道を歩む私たちを神はその愛によって救いに導いてくださいました。すべての人間が救われることは神にはおできになります。

 

人間にはできないことも、神にはできる。

「人間にはできない」という現実と「神にはできる」との信仰による現実を、十字架によって結び付けるべきです。コロナウイルスによる困難な現実から救い出されることを、神にはできると日々祈って歩みましょう。


2020426日 礼拝 岡田順一牧師

「最も善いお方」ルカによる福音書 181823

「イエスは言われた。『なぜ、わたしを「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。』」(ルカによる福音書18:19

 

①最も善いことは最も善い方を知ること。

「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」(18)との議員の質問に、主は「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」と答え、さらに守るべき掟として十戒の後半の隣人に対する掟(20)を指し示すと、彼は「みな、子供の時から守ってきました」(21)と答えました。彼は自分の行いを誇りましたが、主は最も善い方を指し示し、その方を知ることこそ最も善いことであることを教えられました。

 

②最も善い道は失って得る道。

主は自分の行いを誇る議員に「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」(22)と言われました。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによってあなたがたが豊かになるためだったのです。」(コリント二8:9) 神の独り子が命を捨てて私たちに豊かな永遠の命をくださったように、失って得る道こそ最も善い道なのです。


2020419日 礼拝 岡田順一牧師

「幼子の心をもって」ルカによる福音書 181517

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(ルカによる福音書18:16

 

①幼子を招くキリスト。

主イエスは「子供たちをわたしのところに来させなさい」と幼子を招かれました。その理由は第一に、幼子は神と両親の愛を必要としているからです。人間が健全に成長するために最も必要なことは愛です。しかし人間の愛には限界があり、神の愛を必要としています。第二の理由は、幼子も罪人であって救われねばならないからです。すべての人が罪の遺伝を受けて滅びに向います(ローマ5:12)。主イエスの招きは、救いへの招きです。

 

②幼子の心を持つ者を招くキリスト。

「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(17)と主イエスは幼子の心を持つことを勧めました。幼子の心とは第一に、自分を低くすることです。「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」(マタイ18:4) 幼子の心とは第二に、神と小さい者を受け入れる心です。「このような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(マタイ18:5)


2020412日 イースター礼拝 岡田順一牧師

「キリストの復活の事実」ルカによる福音書 24112

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(ルカによる福音書24:56

 

葬られた主イエスの墓に来た婦人たちに天使は「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と復活の事実を告げました。

 

①復活の事実はイエス・キリストが神の子であることを証ししている。

「死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです」(ローマ1:4)パウロが「この方が」と言い、天使が「あの方は」と言われたお方こそ、現実に復活されて神の子と定められたキリストです。

 

②復活の事実はすべての人に知らせるべき事実である。

復活された主イエスは、弟子たちが閉じこもっていた鍵をかけた部屋に入れるお方でしたから、墓の入り口の大きな石が転がされたのは主の復活のためではなく主の復活を知らせるためでした。主の天使が「お話しになったことを思い出しなさい」(6) との言葉に「婦人たちはイエスの言葉を思い出した」(8) とあります。私たちも、御言葉を通して日々に主の復活の事実を確認し、伝える者でありましょう。


202045日 棕櫚の主日礼拝 岡田順一牧師

「御国への招きの言葉」ルカによる福音書 233943

「するとイエスは、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた。」(ルカによる福音書23:43

 

主イエスと共に十字架につけられた犯罪人の一人が「父よ、彼らをお赦しください」(34) との主の愛に満ちた言葉を受け入れて、主に対して「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42) と求めました。その求めに主は「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答えられました。主は「わたしと一緒に」と、犯罪人を友として扱われたのです。

 

①地上におけるキリストの最後の友。

この犯罪人は極刑に処せられる極悪人であり、これから良い行いをする可能性もありませんでした。しかし主はこの地上における最後の時、主の言葉を受け入れたこの犯罪人を友として天に国籍を持つ者とされました。

 

②御国におけるキリストの友。

主はこの犯罪人にはっきりとした約束として「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。彼は御国において友となってくださった主の出迎えを受けたことでしょう。私たちも御国におけるキリストの友なのです。