メッセージ 2021年10月〜12月


20211226日 礼拝 岡田順一牧師

「神の手の業を見る」イザヤ書 291724

「アブラハムを贖われた主は ヤコブの家について、こう言われる。『もはやヤコブは恥を受けることはなく 顔色を失うこともない。彼が自分の民の中に 私の手の業・・を見る』」(イザヤ書29:2223

 

①恵みを軽んじる罪。「『この民は唇で私を敬うがその心は私から遠く離れている。空しく私を崇め人間の戒めを教えとして教えている。』あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」(マルコ7:68) 主イエスはイザヤ29:13を引用して神の恵みを軽んじることは神の戒めを捨てる罪であると言われました。

 

②神の恵みの回復。

神の恵みに回復する人は神の「言葉を聞き取」(17) る人です。「へりくだる者たちは主によって前にも増して喜び貧しい人々は…喜び踊る」(19) 神の恵みに回復するとは神の言葉の前にへりくだる者、心の貧しい人になることです。

 

神の手の業を見る。

「ヤコブは…自分の民の中に私の手の業…を見る」(2223)「私の牧者であられた神よあらゆる災いから私を贖われた」(創世記48:1516) ヤコブは自分の生涯を振り返り神の贖いの手の業によってあらゆる災いから守られたことを感謝しました。


20211219日 クリスマス礼拝 岡田順一牧師

「罪からの救い主の誕生」マタイによる福音書 11825

「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイによる福音書1:21

 

①預言の成就としてのクリスマス。

「主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。」(22) 救い主誕生の約七百年前に預言者イザヤが預言したことがクリスマスに実現しました。

 

②インマヌエルを伝えるクリスマス。

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』これは、『神は私たちと共におられる』という意味である。」(23) 旧約の時代は神は特定の人と共におられましたが、救い主の誕生を通して神は、神を信じるすべての人といつも共にいてくださるのです。

 

③救いをもたらすクリスマス。

「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(21) 神は信じる人と共にいてくださるだけでなく、その人をあらゆることから救ってくださいます。神に祈ることを通して神は即刻助けの御手を伸ばされます。その神の御手の助けを阻むものが罪です。ですから私たちはまず救い主に自分の罪から救っていただく必要があります。


20211212日 アドベント第三主日礼拝 岡田文美佳副牧師

「大きな喜びの日」ルカによる福音書 2820

「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカによる福音書2:10,11

 

①すべての民に与えられる喜び。

救い主の降誕を祝った二組の人々は対照的でした。異邦人である知恵と富のある東方の博士。そして、貧しく社会的弱者であった羊飼い。神様がくださる救いの招きにもれる人はいないのです。

 

②喜びのメッセージを受け取る。

神様は私たちに語りかけられるとき、同時に応答を求められます。私たちは御言葉を聞いて、感動し、そして次に応えることが大切です。羊飼いたちは、天使の知らせに「さあ、ベツレヘムへ」と踏み出しました。そして、そこで神のしるしである飼い葉桶に寝ている乳飲み子、救い主との出会いを与えられました。

 

喜びを分かち合う。

羊飼いたちは、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉桶の乳飲み子として誕生された救い主の姿に、慰めと共に自分たちが神様から愛され、認められている励ましをいただきました。そして、彼らは自分たちが与えられた恵みを周囲の人に、また家族に分かち合ったのです。救い主の誕生は、すべての人に与えられた大きな喜び、救いの出来事です。私たちも何にも変えられない救いの喜びを大切な方々と分かち合わせていただきましょう。


2021125日 アドベント第二主日礼拝 岡田順一牧師

「処女マリアの信仰」ルカによる福音書 12638

「マリアは言った。『私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。』」(ルカによる福音書1:38

 

①聖なる抗議。

天使ガブリエルから「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。」(31)と告げられたマリアは「どうして、そんなことがありえましょうか。」(34) と抗議しました。マリアの抗議は不信仰による抗議ではなく、信じるための聖なる抗議でした。聖なる抗議には神は応えてくださいます。

 

②聖なる誕生。

「聖霊があなたに降り、…生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(35) 処女マリアが神の子を宿すという奇跡は聖霊による御業でした。私たちも神を信じる時、聖霊なる神が私たちの内に住まわれました。信じる人に聖なる誕生が実現します。

 

③聖なる信仰。

「どうして、そんなことがありえましょうか。」とのマリアの抗議に天使ガブリエルは「神にできないことは何一つない。」(37) と応えました。その言葉に彼女は「お言葉どおり、この身になりますように。」と応答しました。マリアは神の言葉に自分の存在を任せました。神の言葉にはそれだけの価値があります。


20211128日 アドベント第一主日礼拝 岡田順一牧師

「救いの岩であるキリスト」イザヤ書 281218

「主なる神はこう言われる。『見よ、私はシオンに一つの石を据える。これは試みを経た石 確かな基礎となる貴い隅の親石。信じる者は、慌てることはない。』」(イザヤ書28:16

 

①試みを経た石であるキリスト。

危機的状態の南ユダの人々に一つの石である救い主の到来が預言されました。救い主は試みを経た石です。「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。」(ヘブライ4:15) キリストは試練を経て私たちのことを理解し「時宜に適った助け」(ヘブライ4:16) を与えてくださいます。

 

②確かな基礎であるキリスト。

確かな基礎とは、これ以上ない堅固な土台ということです。南ユダの人々は敵国の驚異に揺れ動きましたが、真の救い主は何があっても微動だにしないお方です。

 

③貴いお方であるキリスト。

貴いとは唯一という意味です。ペトロが迫害を受けた時キリストについて証言しました。「この方こそ、『…隅の親石となった石』です。この人による以外に救いはありません。」(使徒言行録4:1112) と。キリストこそ唯一の救い主です。


20211121日 礼拝 岡田順一牧師

「ぶどう畑の回復」イザヤ書 27113

「その日には 美しいぶどう畑の歌を歌え。主である私はその番人。絶えずぶどうに水をやり 畑が荒らされないように 夜も昼も守っている。」(イザヤ書27:23

 

①美しいぶどう畑の回復。

神はぶどう畑であるイスラエルの民に美しさの回復を求めました。「私と和解するがよい。和解を私とするがよい。」(5) 神から離れて内なる美しさを失った民に神はご自身と和解することを通して美しさの回復を繰り返し求めました。

 

②美しいぶどう畑とは。

「なんと美しいことか 山々の上で良い知らせを伝える者の足は。」(52:7) 美しい人とは第一に良い知らせを聞いた人です。良い知らせである神の言葉を基準として生きる人です。第二に良い知らせを伝える人です。神の言葉を隣人に伝えようとする動機は神の愛です。神の愛こそ最も美しいものです。

 

③美しいぶどう畑であるための信仰。

「絶えずぶどうに水をやり」(3) 第一に神の供給への信仰です。神の愛。神の恵みの供給を絶えず信じる人です。「夜も昼も守っている。」(3) 第二に神の保護への信仰です。無防備の夜も戦いの昼も神の守りを信じる人です。


20211114日 礼拝 岡田順一牧師

「確かな平安をもたらす神」イザヤ書 26112

「志の堅固な者を あなたは確かな平安をもって守られる。彼があなたを信頼しているゆえに。主をどこまでも信頼せよ。」(イザヤ書26:34

 

①神による平安。

「あなたは確かな平安をもって守られる。」平安はヘブライ語でシャローム。平和とも訳されます。「確かな」は原文にはなく原文は「シャローム、シャローム」です。平安に平安を加えることです。医学用語では「健康」、商業用語では「繁盛」、戦争用語では「勝利による平和」、神を信じる者には「救い」を意味しています。それが神によって確かにもたらされるのです。

 

②神の平和を信じる。

「主よ、あなたは私たちに平和を備えてくださいます。あなたは私たちのためにすべての業を 成し遂げてくださいました。」(12) 神の平和を持ち続けるための信仰は第一に神は私たちのために御業を行ってくださるとの信仰です。「私たちのために」との神の愛を信じる時シャロームがもたらされます。第二に神は私たちの業を成し遂げてくださるとの信仰です。結果は神の栄光に帰するならシャロームが失われることはありません


2021117日 礼拝 岡田順一牧師

「逃れ場である神」イザヤ書 2519

「あなたは弱い者の砦 苦難の中にある貧しい者の砦 豪雨を避ける逃れ場 暑さを避ける日陰となられる。」(イザヤ書25:4

 

①私の神を信じる。

「主よ、あなたは私の神。」(1)「私の神」とは自分に近い神ということです。イエス様の弟子のトマスは主を遠く感じていました。それは他の弟子たちと一緒にいなかったため復活の主に出会えなかったからです(ヨハネ20:24)。しかし一緒にいた時主と出会い、主に「私の主、私の神よ」と告白しました。(ヨハネ20:28)。それは主の言葉を自分への言葉として受け止めたからです(ヨハネ20:27)。私たちも礼拝に出席し説教を聞いた時、それを自分へのメッセージと受け止める時、主は私の神となられます。

 

②逃れ場である神。

「弱い者の砦」肉体的、精神的弱さ。「貧しい者の砦」経済的、心の貧しさ。「豪雨を避ける逃れ場」試練の豪雨。弱さ、貧しさ、試練において神は逃れ場であって下さいます。

 

永遠の救い主。

「この方は私たちを救ってくださる。」(9) 救い主は「死を永遠に呑み込んで」(8、コリント一15:54) 「すべての顔から涙を拭い」(8、黙示録21:4) 永遠の命を与え、御国に至らせて下さいます。


20211031日 特別礼拝 島 隆三牧師(東京聖書学校教師・当教会出身)

「世に打ち勝つ信仰」ヨハネの手紙一 515

 「世に勝つ勝利、それは私たちの信仰です。」(ヨハネの手紙一5:4)

 

イエスが神の子であると信じる者が、どうして世に勝つのか。

 

第一に、私たちが世に勝つのは私たちの力ではなくイエス・キリストの勝利に与るということ。

主イエスは、弟子たちと別れるに際して、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を

出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33) と。この主イエスの勝利に与ることが、私たちが世に打ち勝つ秘訣だ。

 

第二は、「勝利」は死に対する勝利である。

主イエスが初穂となり、復活によって死に勝利され、次に、主を信じる者が続く。「死は勝利に呑み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前の棘はどこにあるのか。」(コリント一15:5455) と使徒パウロは声高く叫んでいる。私たちは天国の望みを持って御国に凱旋した多くの証人に囲まれている。私たちもその後に続きたい。

 

第三は、黙示録に続けて出てくる究極の勝利である。

現在は、個人も世界も困難に直面しているが、神は究極の勝利を備えていて下さる。この神の勝利を信じよう。


20211024日 礼拝 岡田順一牧師

「正しき者であれ」イザヤ書 24116ab

「地の果てから私たちは歌声を聞いた。『正しき者に誉れあれ。』」(イザヤ書24:16

 

①全地を治める神。

24章は「地」という言葉に満ちています。「見よ、主は地を」(1) がそのすべてを覆っています。全地が主の御手の中にあるということです。それは第一に神の裁きから誰もどこにも逃れられないことを意味します。しかし第二には神を信じる者にはどこにいても常に望みがあるということです。

 

②全地を治める神の御前に正しく生きる。

神の裁きから逃れ得る者とは「正しき者」(16) のみです。正しき者とは第一に正しき口をもった人です。「彼らは声を上げ、喜び歌い…叫び声を上げる。」(14) 正しき者の口から出る声とは賛美の声であり、祈りの声です。「真夜中頃、パウロとシラスが神への賛美の歌を歌って祈っていると、」(使徒言行録16:25) 獄中の賛美と祈りは看守一家の救いをもたらしました。第二に正しき者とは神を崇める人です。「地で主を崇めよ。…主の名を崇めよ。」(15) 崇めるとは常に神を中心に置くことです。そのような人に神の誉れ、恵みがもたらされるのです。


20211017日 礼拝 岡田文美佳副牧師

「あなたがたの手で」マルコによる福音書 63544

イエスはお答えになった。「あなたがたの手で食べ物をあげなさい。」(マルコによる福音書6:37

 

五千人の給食の奇跡から主の私たちへの恵みと招きを学びます。

 

①恵みの現状を知る。

「パンはいくつあるのか。見てきなさい。」(38) イエス様は弟子たちに言われました。空腹を覚える群衆を満たすすべを持っていないと思っていましたが、彼らの手に少年のお弁当がありました。与えられている恵みがそこにあります。

 

②感謝と祝福を祈る。

「イエスは・・天を仰いで祝福し、」(41) イエス様は、パンと魚を手に取り、感謝と祝福の祈りを献げられました。今ここにあるものを感謝し、神を賛美するとき十分な恵みの出来事がなされていきます。

 

私のできることを・・。

素晴らしい恵みの奇跡はイエス様の手によってなされました。しかし、主は、弟子たちに「あなたがたの手で(37) と彼らの手の業の助けを求められました。彼らの手によって、パンが配られ、恵みが集められ、祝福の業が導かれました。主はあなたの手を必要としておられます。


20211010日 長寿の恵み感謝礼拝 岡田順一牧師

「苦難から祝福へ」詩編 319

「私は身を横たえて眠り、目覚めます。主が私を支えておられるから。」(詩編3:6

 

①ダビデの苦難と救いの確信。

ダビデがこの詩を作ったのは「息子アブシャロムから逃げたときに。」(1) とあるように、ダビデが息子に反逆されて王座を追われた時の詩です。その後、ダビデはアブシャロムを討ち王座を奪還しましたが、ダビデは子育てに失敗した者として悪魔から「あの者に神の救いなどない」(3) と言われました。悪魔は私たちに救いの確信を疑わせようとします。しかしダビデは信仰によって「救いは主のもの。」(9) と確信しました。

 

②ダビデの苦難における信仰。

苦難の中にあってダビデは「あなたこそわが盾、」(4) と神の守りを信じました。「私の頭を起こす方。」(4) とうなだれた頭を神は勝利をもって起こしてくださると信じました。「主に向かって声を上げれば 聖なる山から答えてくださる。」(5) と御言葉を握って祈る者に神は必ず答えてくださると信じました。その結果は「私は身を横たえて眠り、目覚めます。主が私を支えておられるから。」との確信を得ることができます。


2021103日 礼拝 岡田順一牧師

「聖なる利益」イザヤ書 231018

「彼女の利益と報酬は主の聖なるものとなり、積み上げられず、蓄えられもしない。その利益は、主の前に住む者たちのものになり、彼らは飽きるまで食べ、最上のもので着飾ることになる。」 (イザヤ書23:18

 

①創造主による利益。

ティルスとシドンは地中海沿いの海岸都市で、海の幸を手にし、地中海を渡って貿易をし多くの利益を得ていました。その利益は創造主によってもたらされた利益でしたが、彼らは何の感謝もせず、神に裁かれました。私たちも創造主による利益によって今日の私たちがあることを忘れてはなりません。

 

②聖なる利益を得るために。

「主はティルスを顧み、」(17) 主はティルスとシドンに二つの条件による回復のチャンスを与えました。第一の条件は「利益と報酬は主の聖なるものとなり」利益を主の御手に任せることです。主の御手に握られた利益は聖別されます。第二の条件は「その利益は、主の前に住む者たちのものになり、」利益を自分だけのものとせず全体の利益のために用いることです。そうする時、豊かな聖なる利益を手にすることが出来ます。