メッセージ 2021年4月〜6月


2021627日 弾圧記念礼拝 岡田順一牧師

「勝利の福音」ヨハネによる福音書 162533

「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16:33

 

①この世における苦難。

「自分の家に帰ってしまい、」(32) 弟子たちは自分の弱さによって苦難を通りました。「私を独りきりにする時が来る。」(32) 不信仰によってキリストから離れて苦難に陥りました。この世における苦難は自分との戦いであり、信仰の戦いであり、それを利用しようとする悪魔との霊的戦いなのです。

 

②キリストによる勝利。

「私はすでに世に勝っている。」と主イエスは、この世における苦難の現実に対して勝利宣言を私たちにもたらされました。キリストによる勝利とは「あなたがたは苦しみにさいなまれるが、その苦しみは喜びに変わる。」(20) と主が言われたように、苦難の現実があってもその苦難が喜びに変わるという勝利です。ヨセフが自分を苦しめた兄たちに「あなたがたは私に悪を企てましたが、神はそれを善に変え、」(創世記50:20) と告白したような悪が善に変えられる逆転勝利を主は与えてくださいます。


2021620日 礼拝 岡田順一牧師

「神に真実をもって頼る」イザヤ書 102034

「その日になると、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者は、自分たちを打った者にもはや頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。」(イザヤ書10:20

 

①危機的時代に生きる信仰。

南ユダ王国が存亡の危機に直面した時「主はイザヤに言われた。『あなたは、息子のシェアル・ヤシュブと共に出て行って…アハズに会い』」(7:3)と、主は預言者イザヤをアハズ王の所へ彼の息子と共に遣わしました。シェアル・ヤシュブとは「残りの者は帰る」という意味です。どんな危機が襲ってきても主の恵みによって残りの者が備えられていることを信じて自分の務めを果たすべきことを主はイザヤに教えたのです。

 

②残りの者となるために。

弾圧において信仰を守り通した先達たちは残りの者です。残りの者とは第一に真に悔い改める人。「自分たちを打った者にもはや頼らず」神に頼らず、アッシリアに頼って失敗したことを悔い改めること。第二に神を第一とする人。「主に真実をもって頼る」悪がはびこった時代にノアは残りの者として「その時代の中で…神と共に歩」みました(創世記6:97:1)


2021613日 礼拝 岡田順一牧師

「救い主の性格」イザヤ書 916

「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」(イザヤ書9:5

 

①驚くべき指導者。

素晴らしい相談相手は私たちを活かす言葉を語り、真の指導者は将来に対する計画をもっています。驚くべき指導者は私たちの人生の計画を実現させてくださるお方です。

 

②力ある神。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)誰でも人生の苦難を通りますが救い主は信じる者に必ず勝利の力を与えます。

 

永遠の父。

永遠とは「何時でも」という意味もあります。救い主は「闇の中に歩んでいた民…死の陰の地に住んでいた者」(1) 自分には何の望みも無いと思う民に父の愛をもたらすお方です。

 

④平和の君。

救い主の与えてくださる平和は、ただ争いが無いだけの消極的平和ではなく、救い主によって与えられる愛、恵み、喜び、祝福、感謝があふれて隣人にまで及ぶ積極的平和です。


202166日 礼拝 岡田順一牧師

「神の翼におおわれる幸い」イザヤ書 8110

「ユダにみなぎり、溢れ、押し流し、首にまで達する。インマヌエルよ その広げられた翼はあなたの国土を 隅々まで覆う。」(イザヤ書8:8

 

連合軍による危機にユダのアハズ王は主に助けを求めず、アッシリアに助けを求めました。ところがやがてユダはアッシリアの大軍による攻撃を受け、「大河の激しい大水」(7) のように「ユダにみなぎり、溢れ、押し流し、首にまで達する。」と、滅亡の寸前まで追い詰められました。しかし主はお見捨てにならず「インマヌエルよ その広げられた翼はあなたの国土を 隅々まで覆う。」と告げられました。当時の王は「静かにしていなさい。」(7:4) との主の言葉に従い、自ら神殿において祈り、預言者イザヤに祈りの支援を依頼しました(37:14)。その結果「主の使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。」(37:36) と主はユダを救われました。今日、コロナ菌がみなぎっているかのようですが、実はインマヌエルによる神の愛の翼が私たちの国土を、私たちの人生を隅々まで覆っていることを信じましょう。


2021530日 礼拝 岡田順一牧師

「インマヌエルによる救い」イザヤ書 71017

「それゆえ、主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7:14

 

①一方的恵みの授与。

エフライムとアラムの連合軍による攻撃の知らせに恐れる南ユダのアハズ王に主は「あなたの神である主にしるしを求めよ。」(11)と言われました。しかしアハズは、「私は求めません。」(12)とそれを拒否しました。せっかくの主の申し出を断ったアハズに主は怒られるのではなく「それゆえ、主ご自身があなたがたにしるしを与えられ」ました。「それゆえ」の中に罪人に対しても一方的恵みを与えられる神の愛がこめられています。

 

②インマヌエルによる救い。

主が与えてくださった一方的恵みの内容は「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」ということでした。インマヌエルについて「『神は私たちと共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)と主イエスの誕生に際して天使が告げました。どんな危機的状況の中にも「神は私たちと共におられる」事実にこそ救いがあります。


2021523日 ペンテコステ礼拝 岡田順一牧師

「救い主と聖霊」イザヤ書 1115

「エッサイの株から一つの芽が萌え出で その根から若枝が育ちその上に主の霊がとどまる。知恵と分別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れる霊。」(イザヤ書11:12

 

救い主に注がれた聖霊は、今日信じる私たちにも注がれています。

 

①知恵と分別の霊。

分別とは正しく理解することです。「その目の見えるところによって裁かず その耳の聞くところによって判決を下さない。…苦しむ者たちのために公平な判決を下す。」(34) 聖霊は近視眼的にではなく隣人を正しく理解するように導きます。

 

②思慮と勇気の霊。

勇気とは力の意味です。十二年間も病に悩む女が主の衣に触れた時、主は「自分の内から力が出て行ったことに気付」きました。それは「あなたの信仰があなたを救った。」と主が言われたように信仰による聖霊の働きでした(マルコ5:2534)

 

主を知り、畏れる霊。

「彼は主を畏れることを喜ぶ」(3) ゲッセマネにおいて主は「私の望みではなく、御心のままに。」(マルコ14:36と祈られました。御子イエス様は父なる神の御心を行うことを喜ばれました。聖霊は私たちにも父なる神の御心を示されます。


2021516日 礼拝 岡田順一牧師

「神の前に静かに」イザヤ書 719

「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない。…激しく怒っても、この二つの燃えさし、くすぶる切り株のために心を弱くしてはならない。」(イザヤ書7:4

 

①試練における信仰。

南ユダに連合軍の攻撃があるとの知らせを聞いた時「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺」しました(2)。人々に主は「あなたがたが信じなければ しっかりと立つことはできない。」(9)と、恐れることなく不確かな現状に際して、神の確かさを信じてしっかり立つように勧めました。

 

②試練における信仰の内容。

動揺する南ユダの人々に主は「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない。…心を弱くしてはならない。」と勧めました。自分の心の動揺、恐れ、弱さを押さえることのできない民に主は「静かにしていなさい。」と信仰の姿勢を教えました。静かにするとは、第一に母鳥が巣にこもり卵から雛が生まれることに備える命のための静まりです。第二に自らを水に沈め、神に一切をお任せして安息する祈りの姿勢です。コロナ禍にあって私たちも静かに信仰によって祈り続けましょう。


202159日 母の日礼拝 岡田順一牧師

「慰めをもたらす母」創世記 2410216267

「イサクは、母サラの天幕に彼女を入れた。彼はリベカをめとり、妻となった彼女を愛した。こうしてイサクは、母の死後、慰めを得た。」(創世記24:67

 

①神によって備えられた母。

アブラハムは息子イサクの花嫁探しを託した僕に「天の神である主は、あなたの前に御使いを遣わされる。」(7) と言いました。イサクの妻、そしてやがて母となる存在は神が御使いを通して備えてくださるとアブラハムは信じました。

 

②思いやる母の愛。

僕はイサクの花嫁の条件として自分とらくだをもてなしてくれる思いやりの心をもった人を祈りによって示されました(1214)。それは母たる存在は思いやる愛が必要だからです。「旅人をもてなすことを忘れてはなりません。」(ヘブライ13:2)

 

慰めをもたらす母。

「イサクは、母の死後、慰めを得た。」僕の条件に勝る存在としてリベカを神は備えられました(1521)リベカはイサクにとって生まれてくる子供たちにとって慰めをもたらす存在となりました。リベカがそのような存在になり得たのは本人の祈り、家族の祈り(60)そして夫の祈りが必要でした(6263)


202152日 礼拝 岡田順一牧師

「隣人を見たイザヤ」イザヤ書 6113

「その時、私は主の声を聞いた。『誰を遣わそうか。誰が私たちのために行ってくれるだろうか。』私は言った。『ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ書6:8

 

①滅び行く隣人を見た。

「誰を遣わそうか」との主の招きに対してイザヤは「私を遣わしてください。」と応えました。イザヤは自分に自信があったからではなく「過ちは取り去られ、罪は覆われた。」(7)  主の恵みへの感謝にあふれて主の招きに応えました。そのイザヤに主が見せた隣人の姿は心のかたくなな滅び行く姿でした(912)彼は憶することなく難しい隣人に向かいました。それはかつて「汚れた唇の者」(5) であった自分さえ救われたからでした。

 

②隣人への神の計画を見た。

「切り倒されても切り株が残る」(13) 民は主に背きバビロン捕囚によって切り倒されるような経験をしますが「切り株が残る」と主は言われました。それは「エッサイの株から一つの芽が萌え出で その根から若枝が育ち」(11:1) との救い主による希望の預言でした。私たちも難しい隣人と遭遇しても、その人をイエス様を通して見る時に希望が与えられます。


2021425日 礼拝 岡田文美佳副牧師

「主に遣わされる」マルコによる福音書 6713

 「十二人は出て行って、悔い改めを宣べ伝えた。」(マルコによる福音書6:12

 

①二人ずつ。

「十二人を呼び寄せ、二人ずつ遣わすことにされた。」イエス様は、十二人を二人一組にして宣教に遣わしました。二人、またチームでのご奉仕は、一人が弱っても、もう一人が支え助けることができます。それぞれの賜物が持ち合わさり、恵みの業が拡大します。そして信仰の成長の機会です。違いを受け入れ合い、祈り合う時です。

 

②主にのみ頼る。

「杖一本のほか何も持たず・・・」(8)と主は弟子たちに持ち物について規制なさいました。物に頼ることなく、主に期待し祈り、主からの満たしによって与えられるもので、宣教の業を進めるよう導かれました。

 

悔い改めのメッセージを生きる

十二人がイエス様から託されたのは悔い改めのメッセージでした。人々に悔い改め(神に立ち帰ること)を語るとき、私たち自身が福音に、生きているかどうかが問われます。


2021418日 礼拝 岡田順一牧師

「高い所からの力」ルカによる福音書 243653

「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカによる福音書24:49

 

①宣教のための復活。

「エルサレムに戻って…イエスだと分かった次第を話した」(33,35) エルサレムから離れようとしていた二人の弟子は復活された主に出会い、エルサレムに戻り復活の事実を証ししました。彼らが宣教者となるために主は共に歩まれました。

 

②平和のための復活。

「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(36) 主が真ん中に立たれたように教会の中心に、私たちの人生の中心に、世界の中心にキリストが立たれる時、真の平和がそこにもたらされます。

 

聖霊降臨のための復活。

「父の約束されたもの」とは聖霊降臨です(使徒言行録1:45)。聖霊は信じる者に力を与えます。その力とは第一に御言葉を実現させる力です(44)。第二に心の目を開く力です(45)。第三に魂を救う力です(4748)。その力は都にとどまって「心を合わせて熱心に祈」る者に与えられました(使徒言行録1:14)


2021411日 礼拝 岡田順一牧師

「イエスと一緒に歩む」ルカによる福音書 241335

「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」(ルカによる福音書24:3132

 

①イエスに対して遮られた目。

「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」(16)  二人の弟子の目が主に対して遮られた第一の理由は期待しない心です。彼らは主が十字架につけられたエルサレムから離れようとしました。それは主への期待の喪失です。第二の理由は悲しむ心です。「二人は暗い顔をして」(17)  彼らの心は暗くなり、主の復活を信じられませんでした(2224)

 

②イエスに対して開かれた目。

二人の目が開かれた第一の理由は現実に主が彼らと歩まれたからです。「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた」(15)  第二の理由は主との交わりを求めたからです。彼らは主に「一緒にお泊まりください。」(29) と求めました。第三に御言葉が彼らの目を開きました。主から御言葉を聞いた時、彼らの心に信仰の火が再び燃やされました。


202144日 イースター礼拝 岡田順一牧師

「キリストの復活の事実」ルカによる福音書 24112

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(ルカによる福音書24:56

 

神によって証しされた復活の事実。主の墓に来た婦人たちに御使いは「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」と、神が復活の事実を証しされました。熱心な婦人たちでさえ遺体に香料を塗る「生きておられる方を死者の中に捜す」ことしかできませんでした。弱い人間に対して神が復活の事実を証ししました。

 

①神のご計画による復活の事実。

「人の子は必ず…復活することになっている」(7) と御使いは告げました。全人類への神の救いの計画は必ず実行されます。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16) との約束も必ず実行されます。

 

②御言葉によって証しされた復活の事実。

主が「お話しになったことを思い出しなさい。」(6) と御使いは命じました。それを聞いた婦人たちは「イエスの言葉を思い出し」(8)、「皆に一部始終を知らせ」(9) ました。その知らせた内容は主の復活の事実と神の言葉の確かさでした。今日も御言葉が復活の事実を証ししています。