2017年12月31日 礼拝 岡田順一牧師
「全生涯を導く神」詩編 23篇1〜6節
「主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」(詩編23:6)
①父なる神がおられる主の家。
家に父の存在がいることが当然のように、主の家である御国において父なる神が私たちを待っていてくださいます。その父なる神が、この一年も父の愛をもって私たちを守り通してくださいました。父なる神の愛に感謝しましょう。
②神の子のための主の家。
「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる」(ヨハネ8:34~35)
罪の奴隷から神を信じて神の子となった者は主の家にいつまでもいることが出来ます。父なる神が神の子である私たちを養ってくださったことを感謝しましょう。
③愛する人との再会の場である主の家。
神を信じる者は、先に召された愛する人たちと御国において再会する希望があります。またやがて私たち自身が、御国における再会を待たれる側になる時もやってきます。この一年守られたのは、祈りの途中にある愛する人たちのための祈りを祈り続けるためでもあることを覚えましょう。
2017年12月24日 クリスマス礼拝 岡田順一牧師
「最初に福音を信じた人々」ルカによる福音書 2章8〜21節
「突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」(ルカによる福音書2:13~14)
①救い主誕生の知らせを聞く幸い。
「救い主がお生まれになった」(11)との福音を聞いた羊飼いたちは、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(12)との言葉によって福音と自分を結び付けることが出来ました。そこに彼らの幸いがあります。
②救い主誕生の知らせを信じる幸い。
福音と自分を結び付けた羊飼いたちのために天使たちは「地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美しました(14)。羊飼いたちは御心に適う人、神を信じる人になり「主が知らせてくださったその出来事を見よう」(15)と神の言葉を信じて行動し「乳飲み子を探し当てた」(16)とその求めは応えられました。「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20)神を信じた羊飼いたちの歩みは「神をあがめ」マリアの賛歌、「賛美しながら」ザカリアの賛歌の実現する歩みとなったのです。
2017年12月17日 アドベント第三主日礼拝 岡田順一牧師
「平和の道に導く救い主」ルカによる福音書 1章57〜80節
「主の民に罪の赦しによる救いを 知らせるからである。…暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカによる福音書1:77,79)
①神の言葉を信じる人の幸い。
マリアは「お言葉どおり、この身に成りますように」(38)と神の言葉を信じて救い主誕生の幸いを得、エリサベトは「主がおっしゃったことは必ず実現する」(45)と神の言葉を信じてバプテスマのヨハネを産む幸いを得ました。その夫ザカリアは「この子の名はヨハネ」(63)と神の言葉に従って名付けた時、閉ざされていた口に賛美が溢れました(64)。
②神をほめたたえる理由。
ザカリアの賛美の第一の内容は歴史を貫く神の真実への賛美です。アブラハムへの約束(73)、出エジブトにおける救いの前例(68)、ダビデへの約束(69)と神は歴史を貫いて救い主誕生の約束を実現し神の真実を証明されました。賛美の第二の内容は救い主に対しての賛美です。救い主は信じるすべての人に対して「罪の赦しによる救い」を与え、その生涯を溢れる程の喜びと平安に満ちた平和の道に導いてくださいます。
2017年12月10日 アドベント第二主日礼拝 岡田順一牧師
「神の言葉への信仰」ルカによる福音書 1章39〜56節
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカによる福音書1:45)
①聖霊の導きに従う信仰。
「エリサベトは聖霊に満たされて…言った。『…わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは』」(41~43)
聖霊はエリサベトにマリアの胎内の子が「わたしの主」であることに目を開かせました。クリスマスの時、聖霊によって「イエスは主である」と告白する方が起こされますように。
②神の言葉への信仰。
「マリアは言った。『お言葉どおり、この身に成りますように』」(38)
マリアが神の言葉と自分を結びつけた時「天使は去って行った」とあります。天使は自分の役割である恵みの告知(28,30)が果されたことを確信したので去りました。神の言葉と自分を結び付ける人が恵まれないはずがないからです。
③主をあがめる生き方。
「わたしの魂は主をあがめ」(47)
あがめるとは拡大するという意味です。マリアは救い主が拡大されることを願い、「主のはしため」(38,48)としてへりくだって生きる決心をしました。それは主が仕えるためにお生まれ下さったからです。
2017年12月3日 アドベント第一主日礼拝 岡田順一牧師
「マリアへの受胎告知」ルカによる福音書 1章26〜38節
「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』」(ルカによる福音書1:38)
①名に表された救い主誕生の意味。
「その子をイエスと名付けなさい」(31)
イエスとは「主は救いである」との意味でヘブライ語ではヨシュアです。旧約のヨシュアがイスラエルの民を約束の地に導いたようにイエスは神の国へ信じる者を導いてくださいます。
②預言の成就としての救い主の誕生。
「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」(32)
ダビデの子孫から救い主が誕生するとの預言が千年の月日を経て、クリスマスに成就されました。
③聖霊による救い主の誕生。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(35)
最初の人アダムが神に霊を吹き入れられて創造されたように、処女マリアは聖霊によって受胎しました。
④マリアの信仰。
「マリアはこの言葉に戸惑い」(29)マリアは神の言葉に注目しました。
「神にできないことは何一つない」(37)マリアはこの神の言葉を信じました。
「お言葉どおり、この身に成りますように」マリアは神の言葉を自分に結び付けました。
2017年11月26日 礼拝 岡田順一牧師
「神の恵みと慈しみ」詩編 23篇1〜6節
「命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」(詩編23:6)
①命のある限りともなう恵みと慈しみ。
私たちの人生において愛する存在も命のある限り共にいてくれるとはかぎりません。しかし牧者なる神は、主人から決して離れない従順な僕のように恵みと慈しみを私たちの生涯にいつも伴わせてくださるのです。
②恵みと慈しみに生かされる幸い。
私たちの生涯において最も幸いなことはイエス様を信じて恵みによって罪赦され救われ、神の子として必要を満たしていただき、神の慈しみに生かされていることです。私たちはかつて神から逃げていましたが、神は私たちを愛するがゆえにどこまでも追いかけてきてくださったのです。
③神の恵みと慈しみに応えて生きる。
「あなたの慈しみは命にもまさる恵み。…命のある限り、あなたをたたえ 手を高く上げ、御名によって祈ります」(詩編63:4~5)
命のある限り私たちに恵みと慈しみをもたらしてくださる牧者なる神に応える道は、私たちが命のある限り神を賛美し続け、神に祈ることを忘れないことです。
2017年11月19日 伝道礼拝 岡田順一牧師
「恵みにあふれた人生」詩編 23篇1〜6節
「わたしの杯を溢れさせてくださる。」(詩編23:5)
①もろい杯。
「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(コリント二4:7)
私たちの人生、私たちの肉体はパウロが「土の器」と表現しているように不確かであり、もろいものなのです。
②きよめられた杯。
「よろめかす杯をあなたの手から取り去ろう。わたしの憤りの大杯をあなたは再び飲むことはない」(イザヤ51:22)
「よろめかす杯」とは人の欲による金銭、地位、名誉を人生の杯に満たし、他者の杯を見て生涯よろめき続けることです。「憤りの大杯」とは神を憤らせる人間の数々の罪、汚れです。
「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ18:11)
主イエスは全人類の憤りの大杯を自らの杯に移し換えて、滅びに至る毒の大杯を十字架にかかることを通して飲み干して下さったのです。
③満たされた杯。
「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」(フィリピ4:19)
牧者なる神は羊である私たちの人生の杯に必要なものをすべて満たしてくださるのです。
2017年11月12日 礼拝 岡田順一牧師
「神の愛と聖霊の注ぎ」詩編 23篇1〜6節
「わたしの頭に香油を注ぎ」(詩編23:5)
①神による愛の注ぎ。
主イエスから罪を赦された罪深い女は主に香油を注いで感謝を表しました。その行為について主は「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」(ルカ7:47)と言われました。彼女が主に香油を注いだのは罪赦されたという理由がありましたが、牧者なる神が私たちに愛を豊かに注いでくださる理由は、ただ私たちが羊であるからです。牧者なる神を心から慕う羊であるがゆえにのみ、牧者なる神は羊である私たちに溢れるほどの豊かな愛を注いでくださるのです。
②聖霊の豊かな注ぎ。
聖書において「油」はしばしば聖霊を意味しています。救い主の本来の意味は「油注がれた者」ということです。主はヨハネから洗礼を受けられた時、聖霊が注がれました。「神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました」(テトス3:6)牧者なる神は信じる者に必ず聖霊を豊かに注いでくださり、新たに生まれさせ、新たに造りかえ、永遠の命を与えてくださいます。
2017年11月5日 礼拝 岡田順一牧師
「人生の祝宴」詩編 23篇1〜6節
「わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。」(詩編23:5)
①神に招かれた者の幸い。
「あなたはわたしに食卓を整えてくださる」と、神の食卓にあずかれる人とは神を信じて神の子となった人のことです。「整える」と訳された言葉の意味は「先回りする」「備えられている」ということです。子のために母親が三度の食事の用意をしてくれるように神の子に対しては、神は必ず人生において先回りするように必要を備えていてくださるのです。
②敵の前にも備えられる愛の糧。
ダビデは多くの罪を犯し、自分こそ「わたしを苦しめる者」と思っていました。その自分の罪について「罪から清めてください」(51:4)と神に悔い改めた時、ダビデは「あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました」(51:6)と自分の罪が神への罪であり、神をいかに苦しめていたかを知らされました。神は神を苦しめる私たちを前にしても、私たちに食卓を備え続けてくださいました。その神の恵みを忘れることなく神に喜ばれる者として歩みましょう。
2017年10月29日 礼拝 岡田順一牧師
「神の守りと慰め」詩編 23篇1〜6節
「あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。」(詩編23:4)
①神の大いなる保護。
羊飼いの鞭は羊を野獣、夜盗から守るために用いられます。
「瞳のようにわたしを守り」(17:8)
牧者なる神は私たちを「瞳のように」優しく守ってくださいます。
「主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる」(91:11)
常に神の保護があることを信じましょう。
②神の大いなる導き。
羊飼いの杖は羊を導くために用いられます。
「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」(121:2)
天地を造られた主はすべての被造物を見渡せる場所におられ、私たちを助けてくださいます。ですからその導きに誤りはありません。
③神の大いなる慰め。
「それがわたしを力づける」
力づけるとは「慰め」の意味もあります。神の保護の役割をする鞭を牧者なる神は「愛の鞭」として用いることもあります。「主は愛する者を鍛え」られます(ヘブライ12:6)。その目的はどんな時にも牧者なる神に信頼するためです。試練も愛の鞭と知る時、慰めとなります。
2017年10月22日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「手を伸ばしなさい」マルコによる福音書 3章1〜6節
「その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。」(マルコによる福音書3:5)
①主の心はわたしに向かっています。
イエス様の関心は、人の抱える弱さや痛みに向けられます。主が来られた会堂には、様々な人がいました。病む人、痛む人、律法に縛られている人、人生の変革を恐れる人。主は、私たちの抱える痛みに向き合ってくださいます。
②主の御業は、豊かになされます。
主イエス様は、手の不自由さを抱える一人の人に向き合い、癒しの御業をなさいました。それは、人々の思惑を超え、安息日の厳守を愛の律法によって超え、人々の常識や変えられない現実を超えるものでした。そしてそこに、十字架への道をもいとわれない主のお姿を見ます。
③「手を伸ばしなさい」の声に応える。
「真ん中に立ちなさい」「手を伸ばしなさい」と主イエス様は私にも呼び掛けられます。主の招きは単純です。その招きに幼子のように「はい」と答え、手を伸ばす者でいたいと願います。
2017年10月15日 礼拝 岡田順一牧師
「災いを恐れない歩み」詩編 23篇1〜6節
「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23:4)
①死の陰の谷を歩む勇気。
死の陰の谷は暗黒です。多くの人は暗闇の中では座り込んでしまいます。しかし詩人は「死の陰の谷を行く」-歩む-と言いました。信仰者の模範であるエノクは神と共に歩みました(創世記5:24)。信仰の父アブラハムに対して主は「わたしに従って歩む」ことを勧めました(創世記17:1)。信仰生涯は神を信頼して勇気を持って歩み続けることです。
②死の陰の谷を歩む喜び。
詩人は「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない」と言いました。その理由は「あなたがわたしと共にいてくださる」からです。詩人は主を「あなた」と親しく呼びました。今日の私たちにとって主イエスこそインマヌエルとして私たちと共にいてくださいます。その主は十字架において私たちの身代わりとなって死の陰の谷を歩んでくださいました。この主の犠牲のゆえに私たちは恐れることなく確信を持って、むしろ共におられる主を喜びつつ死の陰の谷を歩むことができます。
2017年10月8日 礼拝 岡田順一牧師
「人生航路」詩編 23篇1〜6節
「魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。」(詩編23:3)
①魂を生き返らせる恵み。
「生き返らせる」と同じ原語が「イスラエルを元の牧場に連れ戻す」(エレミヤ50:19)の中の「連れ戻す」と訳されています。かつてイスラエルが罪を犯してアッシリア、バビロンに敗北しました。しかし神はイスラエルを見捨てず、連れ戻し、回復させてくださったのです。ダビデも様々な所を通りましたが、神によって魂を生き返らされたことを感謝しました。
②正しい道に導かれる恵み。
「羊飼いは…先頭に立って行く」(ヨハネ10:3~4)
神は羊である私たちを正しい道に導いてくださる時、常に先頭に立ってくださいます。ダビデは王になった後、しばしば失敗しました。それは自分が人生の先頭に立とうとしたからです。
③主について行く恵み。
「羊はその声を知っているので、ついて行く」(ヨハネ10:4)
羊飼いの導き方は一様ではありません。平坦な道は真っ直ぐに、高原は曲がりくねりながら導きます。それは人生の試練です。しかし羊はどこまでも羊飼いについて行くのです。
2017年10月1日 礼拝 岡田順一牧師
「人生の憩い」詩編 23篇1〜6節
「主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い」(詩編23:2)
①憩いの与えられる場所。
「青草の原に休ませ」とある「原」とはオアシスを意味しています。人生の戦いの中にあって私たちにとってのオアシスは神の御言葉です。そして「憩いの水」とは聖霊の注ぎです。聖霊が御言葉を通して憩いを与えてくださいます。
②憩いが与えられる方法。
「憩いの水のほとりに伴い」とあるように羊飼いは羊に常に伴ってくださいます。「伴う」とは「やさしく導く」という意味です。羊飼いの羊への思いは愛以外ではありません。その足、その道、その心を導き憩わせてくださいます。
③憩いが与えられる確信。
安全の確信。「神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31)味方である神の守りの確信が憩いを与えます。
養いの確信。「命のパンである」(ヨハネ6:35)と言われる主の養いのゆえに憩うことができます。
服従の確信。「彼らはわたしに従う…彼らは決して滅びず」(ヨハネ10:27~28)羊飼いに従う羊が憩いを得ることができます。