メッセージ 2023年10月〜12月


20231231日 年末感謝礼拝 岡田順一牧師

「神の守りの御手」マタイによる福音書 21323

「幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げ、私が告げるまで、そこにいなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」(マタイによる福音書2:13

 

①希望をもたらす神。

自分の地位を守ろうと、幼い主イエスの命を狙う残虐なヘロデ王から神様は聖家族を守られました。それはバビロン捕囚におけるエレミヤの預言の成就でした(18,エレミヤ31:15)。「あなたの労苦には報いがある…あなたの未来には希望がある」(エレミヤ31:1617) どのような状況にも神による希望があります。

 

②守り通される神。

聖家族は「幼子とその母」(13,14,20,21) と、あえて弱い存在として記されています。その弱い存在が守られたのは、ヨセフの従順を神様が用いて御手を伸ばされたからでした。「主の天使が命じたとおり、マリアを妻に迎えた。」(1:24) 主の天使は常にヨセフに語りかけています(13,1920)。これは神様が、ヨセフの従順に期待していたからです。そしてヨセフも期待に応えて常に神様の告げられた通りに行動した結果、聖家族は守られました(14,21)。新しい年も神の言葉にお従いして歩みましょう。


20231224日 クリスマス礼拝 岡田順一牧師

「神が痛まれたクリスマス」マタイによる福音書 11825

「主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』」(マタイによる福音書1:2021

 

①マリアとヨセフの痛み。

「母マリアはヨセフと婚約していたが、一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」(18) 結婚前に処女であるはずのマリアが身ごもることは婚約していた二人にとって大きな痛みでした。「夫ヨセフは正しい人であった」(19) この正しさは信仰によって慈愛を含む正しき人でした。ヨセフは痛みの中にマリアを守り、神の言葉に従いました。

 

②父なる神の痛み。

クリスマスは、父なる神がその独り子であるイエス・キリストをこの世に遣わし、十字架の死に至らせるという大なる痛みの日でもあります。神の聖は罪を見逃さず、神の愛はすべての人を救いたい。この両立のために父なる神は痛まれて、私たち全人類に救いの道を開かれたことを感謝しましょう。


20231217日 アドベント第三主日礼拝 岡田順一牧師

「最高の贈り物」マタイによる福音書 202028

「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(マタイによる福音書20:28

 

なぜキリストは、仕えるためにこの世に来られたのでしょうか。

 

①全人類の救いのために。

「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(28) 罪の奴隷であった私たちを、キリストは神の独り子の命という尊い身代金を払って解放して下さいました。その犠牲の奉仕によって、全人類に救いの道が開かれました。

 

②私たちの苦しみを担うため。

「イエスは…民の罪を宥めるために、あらゆる点できょうだいたちと同じようにならなければなりませんでした。」(ヘブライ2:17) キリストが人間と同じ歩みをされたのは、試練を理解して、わたしたちの苦しみを担うためでした。

 

③私たちも仕える心を持つため。

「私は柔和で心のへりくだった者だから、…私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。」(マタイ11:29) キリストの柔和でへりくだった心を、キリストを心にお迎えすることによって、我が心としましょう。


20231210日 アドベント第二主日礼拝 岡田順一牧師

「キリストの証言者たち」ヨハネによる福音書 85259

 

①バプテスマのヨハネの証言。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハネ1:29) ヨハネは、主イエスよりも年長でしたが「私より先におられた」(30)と主の先在に目が開かれ証言しました。

 

②イザヤの証言。

「イザヤは、イエスの栄光を見た」(ヨハネ12:41) イザヤは、主イエスより約750年前の人ですが「私の目は王である万軍の主を見てしまった」(イザヤ6:5) その時にイエスの栄光を見ました。それは苦難の僕として人々の罪を負う主の姿でした。

 

③モーセの証言。

「モーセは、私について書いたからである。」(ヨハネ5:46) モーセは、主イエスより約1500年前の人ですが、彼が記したモーセ五書は、神が創造した人間は堕落したが、神によって救われ、神を礼拝する者となり、人生の旅路を歩み終えた後、御国に凱旋するという主によってもたらされた福音を証言しています。

 

④アブラハムの証言。

「アブラハムは、私の日を見るのを楽しみにしていた。」(ヨハネ8:56) アブラハムは主イエスより約2000年前の人ですが、約束の子イサクを神に献げた時「彼は神の友と呼ばれた」(ヤコブ2:23) 同じ痛みを担う者として、主の十字架を共感しました。


2023123日 アドベント第一主日礼拝 岡田順一牧師

「愛の奴隷となる本当の自由」ガラテヤの信徒への手紙 5715

「きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤの信徒への手紙5:13

 

ルターの掲げたキリスト者の自由に関する二つの命題。第一「キリスト者はすべての者の上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」第二「キリスト者はすべての者に奉仕する僕であって、何人にも従属する」キリスト者は自由な君主、愛の僕です。

 

①自由な君主。

「誰が邪魔をして真理に従わないように勧めたのですか。」(7) 神の真理、御言葉の真理に立ち続けるのがキリスト者です。戦時下にあって伊藤馨牧師は、弾圧を受けても真理に立ち続けました。自らの自由意思をもって真理を選び続けましょう。

 

②愛の僕。

「この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。」(13) キリスト者はキリストの十字架を信じて罪の奴隷の状態から自由にされました。その自由を喜んで神を愛し、隣人を愛するために愛の奴隷、愛の僕にしてください、愛をもって互いに仕えますと、自由を神にお返しすることです。


20231126日 礼拝 岡田文美佳副牧師

「主イエスの憐れみ」マルコによる福音書 8110

「群衆がかわいそうだ。もう三日も私と一緒にいるのに、何も食べる物がない。」(マルコによる福音書8:2

 

かわいそうという言葉は、憐れみ深いという意味を持つ言葉です。主の憐れみを学びましょう。

 

①イエス様の憐れみは、人びとの全ての必要に届く憐れみです。

主はイスラエルの民が飼い主のいない羊のような霊的状態に気づかれ、御言葉で導かれました(マルコ6:34) 8章では、イエス様は群衆がお腹を空かせ、疲れ果てている姿に心を寄せられました。イエス様は私たちの心も体も生活もまた霊的必要も、すべてに関心をもってくださり、すべての必要を満たしてくださいます。

 

②イエス様の憐れみは、弟子たちを主の姿に変えるものです。

弟子たちは、異邦人である群衆に関心がありませんでした。それは、そのような価値観を教えられてきたからです。弟子たちはすぐに変わることはできませんでしたが、イエス様は段階を踏みながら、弟子たちを導かれました。8章では、弟子たちにパンを配らせられました。彼らが今担えるものを託されました。十字架の出来事、復活の出来事、そして聖霊降臨を経て、イエス様の忍耐の中で少しずつ確実に変えられ、用いられる器にして下さいました。


20231119日 礼拝 岡田順一牧師

「キリスト者の自由」ガラテヤの信徒への手紙 516

「この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。ですから、しっかりと立って、二度と奴隷の軛につながれてはなりません。」(ガラテヤの信徒への手紙5:1

 

①キリストによる自由。

「自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。」(1)「罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である。」(ヨハネ8:34) 罪の奴隷であった私たちをキリストが解放してくださり、「奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。」(ヨハネ8:35) 神の子として御国を継ぐ者とされました。

 

②恵みの自由に生きる。

自分の行いに頼るなら「キリストとは無縁の者となり、恵みを失ってしまいます。」(4) 神の子は「『アッバ、父よ』と呼び求める御子の霊を」(4:6) 注がれています。いつでも神に祈ることのできる恵みの自由が信じる者に与えられています。

 

③愛の自由に生きる。

「キリスト・イエスにあっては…愛によって働く信仰こそが大事なのです。」(6) キリストが私たちを自由にしてくださったのは、この世にあって愛に生きるためです。愛したいと思う人を自由に愛するためにアガペーの愛が注がれています。


20231112日 礼拝 岡田順一牧師

「信仰による約束の子」ガラテヤの信徒への手紙 42131

「きょうだいたち、私たちは女奴隷の子どもではなく、自由な身の女の子どもなのです。」(ガラテヤの信徒への手紙4:31

 

①自由の身の女も女奴隷も愛される神。

「アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から、もう一人は自由な身の女から生まれた。」(22) 自由な身の女とはアブラハムの妻サラであり、サラが生んだイサクこそ神による約束の子でした。女奴隷ハガルが生んだイシュマエルについて神は「あの女奴隷の子もまた一つの国民とする。」(創世記21:13) と言われました。イシュマエルからアラブ民族が生み出されました。神はアブラハム夫妻と約束の子イサクだけでなく、女奴隷ハガルもその子イシュマエルも愛されました。愛された者同士が殺し合うことを神は、深く悲しんでおられます。

 

②霊の子か肉の子か。

「私たちは女奴隷の子どもではなく、自由な身の女の子どもなのです。」(31) パウロはたとえとしてサラとハガルを取り上げています。ハガルは神の約束に対して不信仰の結果イシュマエルを生み、サラは信仰によってイサクを生みました。私たちは常に神の約束を信じる霊の子として歩みましょう。  


2023115日 礼拝 岡田順一牧師

「キリストが形づくられるまで」ガラテヤの信徒への手紙 4820

「私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」(ガラテヤの信徒への手紙4:19

 

ここには、神のすべてのキリスト者への願いが記されています。

 

①信仰を守る。

「再び奴隷になることを望んで…逆戻りするのですか。」(9) 信仰を守り通せない人々にパウロは「労苦してきたことが無駄になったのではないかと…心配」(11) しました。信仰を守ることはキリストの十字架の労苦を無駄にしないことです。

 

②神の愛に生きる。

「私の肉体にはあなたがたのつきずきとなるものがあったのに…蔑んだり…せず…キリスト・イエスのように受け入れてくれました。」(14) ガラテヤの人々は神の愛に生きていました。それは隣人をキリストのように愛して生きることです。

 

③キリストによって生きる。

「私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」(19) 私たちはキリストによって罪赦され、神の子とされ、神の愛を注がれ、きよめられました。そのキリストと共に生き、キリストを目標に生きるべきなのです。


20231029日 礼拝 岡田順一牧師

「奴隷から神の子へ」ガラテヤの信徒への手紙 417

「あなたがたが子であるゆえに、神は『アッバ、父よ』と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。」(ガラテヤの信徒への手紙4:67

 

①奴隷から解放された神の子。

「奴隷として仕えていました。」(3) かつて私たちと神との関係は律法によって主人と奴隷の関係でした。しかしキリストによって「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。」(7) 奴隷から神の子とされました。主従関係は律法による結果を求められますが、親子関係はどこまでも愛の関係です。

 

②キリストにあって神の子。

父なる神が御子キリストをこの世に遣わされたのは「律法の下にある者を贖い出し、私たちに子としての身分を授けるためでした。」(5) 私たちが奴隷から神の子となるために神の御子の命という尊い代価が払われて贖い出されました。

 

③聖霊によって神の子。

「あなたがたが子であるゆえに、神は『アッバ、父よ』と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださった」(6) 私たちが神の子となった証しは御子キリストと同じ祈りを献げることが出来るように聖霊が注がれたことです。


20231022日 礼拝 岡田順一牧師

「皆、キリストにあって一つ」ガラテヤの信徒への手紙 32329

「ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(ガラテヤの信徒への手紙3:28

 

①キリストにあって神の子。

「あなたがたは皆、真実によって、キリスト・イエスにあって神の子なのです。」(26) 神の子となるためには「キリストにあずかる洗礼を受け」(27) る必要があります。その人は「キリストを着た」(27) ように主と共に歩みます。

 

②キリストにあって皆一つ。

「あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(28) キリスト者はどのように一つにされるのでしょうか。「ユダヤ人もギリシア人もありません。」人種差別のない一つです。「奴隷も自由人もありません。」階級的差別のない一つです。「男と女もありません。」性差別のない一つです。

 

③キリストにあって相続人。

「あなたがたがキリストのものであるなら…アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(29) 「事実、神は、彼らのために都を用意しておられたのです。」(ヘブライ11:16) キリスト者には永遠の命による天の都が用意されています。


20231015日 礼拝 岡田順一牧師

「キリストに導く養育係」ガラテヤの信徒への手紙 31924

「こうして律法は、私たちをキリストに導く養育係となりました。私たちが真実によって義とされるためです。」(ガラテヤの信徒への手紙3:24

 

①違反を明らかにする律法の役割。

「律法は…違反を明らかにするために」(19) 違反が明らかにされるとは、罪を自覚することです。「律法によらなければ、私は罪を知らなかったでしょう。律法が『貪るな』と言わなかったら、私は貪りを知らなかったでしょう。」(ローマ7:7) 貪るなとの律法に対して、誰でも貪ってしまう自分の現実に直面し、自らの罪深さを自覚することになります。

 

②キリストに導く養育係である律法。

「律法は、私たちをキリストに導く養育係となりました。」(24) 律法によって、私たちは自分の罪深さを自覚します。自分はこのままでは滅びてしまう、救われねばならないとキリストの元に導かれて行く時、律法はキリストに導く養育係の役割を果たすことになります。律法の中心は、神を愛し、隣人を愛することです(ルカ10:27)。私たちが愛に生きようとする時、愛の足りなさを実感します。その時、キリストの元に行くなら神の愛の注ぎによって、愛に生きる者と変えられます。


2023108日 礼拝 岡田順一牧師

「神の約束によって」ガラテヤの信徒への手紙 31518

「もし相続が律法によってなされるのなら、それはもはや、約束によるものではありません。しかし神は、約束によってアブラハムに相続の恵みをお与えになったのです。」(ガラテヤの信徒への手紙3:18

 

①神の約束の内容と受取人。

「人間の契約」(15) とは遺言を意味する言葉です。神の約束は遺言のように必ず実行されます。「見渡すかぎりの地を、私はあなたとあなたの子孫に末永く与えよう。」(創世記13:15) 神の約束はアブラハムに代表されるすべての信仰者に与えられ、唯一の子孫であるキリストによって実行されます(16)。

 

②永遠の神の約束。

「神があらかじめ有効なものとされた契約が…律法によって破棄され、その約束が無効になることはない」(17) アブラハムに与えられた神の約束は、モーセに与えられた律法によって変更されたり、破棄されることなく永遠に有効です。

 

③神の約束による相続。

「神は、約束によってアブラハムに相続の恵みをお与えになったのです。」(18) アブラハムに与えられると約束された地は、すべての信仰者に対して約束された永遠の命による天の御国を指し示しています。それは必ず実行されます。


2023101日 礼拝 岡田順一牧師

「呪いから祝福へ」ガラテヤの信徒への手紙 3614

「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。…それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、」(ガラテヤの信徒への手紙3:1314

 

①呪いとしての十字架。

「キリストは、私たちのために呪いとなって」(13) キリストの十字架は私たちの罪の赦しのため、汚れをきよめるため、そして呪いを祝福にかえるためでした。パウロは「四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度」(コリント二11:24) ありました。これはキリストが十字架にかかる前の鞭打ちと同じ経験です。その痛みを通して呪いをも主は身に負ってくださいました。

 

②祝福としての十字架。

「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶため」(14) アブラハムに与えられた祝福は「アブラハムは神を信じた。」(6) その信仰によってもたらされました。アブラハム以後、キリストの十字架に対して「信仰によって生きる人々こそアブラハムの子孫」(7) なのです。呪いが祝福にかわる人生の大逆転は信仰によって実現します。