メッセージ 2018年7月〜9月


2018930日 礼拝 岡田順一牧師

「嵐を静めるキリスト」ルカによる福音書 82225

「弟子たちは近寄ってイエスを起こし、『先生、先生、おぼれそうです』と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。」(ルカによる福音書8:24

 

①人生における恐れの現実を知る必要。

「突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった」(23)

突然の突風に弟子たちは恐れました。イエス様は突風が吹くことをご存じで船出を提案されました(22)。それは弟子たちに恐れの中にあって学ぶべきことを教えるためでした。それは恐れやすい自分を知ること。そして嵐の中の唯一の頼みとすべきお方を知るためでありました。

 

②恐れから救われる道。

弟子たちが恐れから救われた二つの秘訣を学びましょう。第一にイエス様に助けを求めた。「先生、おぼれそうです」と彼らは必死に祈りました。あらゆる恐れから救われるための最も有効な手段は神に祈ることです。第二にイエス様の存在を信仰によって認める。今日のテキストの中にイエス様が5回も出てきます。この出来事の中心は嵐ではなくイエス様です。イエス様を人生の中心に置く時、恐れから解放されます。


2018923日 特別礼拝 平島望牧師(ソウル日本人教会副牧師)

「破れを繕い、平和を築く」エフェソの信徒への手紙 21122

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(エフェソの信徒への手紙2:14

 

①平和から遠い存在。

「あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです」(13)

イエス様を信じる前の私たちは「この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました」(12)。しかしキリストによって神との間、隣人との間に真の平和を得たのです。

 

②平和はキリストの十字架から来る。

「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(16)

キリストは私たちが神の敵であった時に私たちを愛して十字架にかかられました(ローマ5:10)。十字架を信じる時、神の愛によって私たちの内にある敵意を滅ぼしてくださるのです。

 

③私たちが神の宮を建てる者となる。

「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです」(22)

神の宮はすべての人のためのものです。それが実現するために私たちに和解の福音が託されています(コリント二5:1819)


2018916日 召天者記念礼拝 岡田順一牧師

「神の力と人間の限界」ルカによる福音書 84056

「人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。『泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。』」(ルカによる福音書8:52

 

①人間の限界を知る必要。

会堂長ヤイロは12歳の一人娘が重病になった時、あらゆる手を尽くしましたがうまくゆかず「彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願」いました(41)。自分の限界を知る時、それは神に立ち返るべき時です。神様は「母の胎内にわたしを組み立ててくださ」いました(詩編139:13)。人間は限界を知ったなら創造主に立ち返るべきです。

 

②もう一つの現実を信じて生きる。

「お嬢さんは亡くなりました」(49)との知らせが届いた時、主は「死んだのではない。眠っているのだ」と言われました。人間は死んだなら終りであるという現実に対して主は永遠の命に生きる、もう一つの現実があることを告げ「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」(50)と言われました。死を恐れるすべての人に神をただ信じるなら、永遠の命に生きる救いの道が開かれているのです。


201899日 長寿の恵み感謝礼拝 岡田文美佳副牧師

「モーセの祝福の祈り」申命記 3245節〜335

「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう。」(出エジプト記33:14)

 

モーセは使命であったイスラエルの民を約束の地に導く目前で、自分の生涯を終えますが、イスラエルの民たちに、神への感謝の賛美と民に対する祝福の祈りに満ちた信仰のバトンを託します。

 

①神の使命に生きる ― 一事を果たす。

イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、不信仰の結果、約束の地に入ることができませんでした。しかし、モーセは自分の使命について、最後まで使命を担い、神様からここまでと言われた分を果たしとおしました。その任の負う姿勢は明るく前向きです。賛美と祈りに満ちていたのですから(申命記32章、33章)。

 

②神の使命に生きる秘訣 ― 主と伴なる歩み。

モーセは、自分の使命を後継者ヨシュアに託しました。モーセにとって最も大切だっったのは、主と共に歩み、主の働きを担うことことだったのです。

 

私たちの歩みも同じです。神様からの特別なプロジェクトを託され、その使命の完成を見るのは私ではなくても、主と共にこの一事を担わせていただきたいと思います。


201892日 礼拝 岡田順一牧師

「神の言葉に生きる」ルカによる福音書 81621

「イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった。」(ルカによる福音書8:21

 

①神の言葉を日常生活に活かす。

「ともし火をともして…入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」(16)ともし火とは「わたしは世の光である」(ヨハネ8:12)と言われたイエス・キリストが与えてくださる光です。その光は姦通の罪を犯した女性に与えた愛の光、信仰の光、御言葉の光です(ヨハネ8:111)。そのともし火を置く燭台とは日常生活です。出会う人に愛の光をもたらし、困難に対して信仰の光を輝かせ、日々御言葉の光に生きることです。

 

②真の神の家族となる。

イエス様は母と兄弟を前にして「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と言われ、御言葉による永遠の絆の大切さを教えました。母マリアは受胎告知を受けた時「お言葉どおり、この身に成りますように」(1:38)と告白し血筋の絆と御言葉による永遠の絆を共に手にしました。御言葉に生きるなら真の神の家族となるのです。


2018826日 伝道礼拝 岡田順一牧師

「愛の源泉である罪の赦し」ルカによる福音書 73650

「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。」(ルカによる福音書7:47

 

①人の思いを聞かれるキリスト。

一人の罪深い女がイエス様の所に来ました。その光景を見たシモンは「『罪深い女なのに』と思った」(39)イエス様はその心の中の思いを知られました。イエス様は人の思いを聞かれるお方です。この罪深い女はイエス様は自分のことを知っていてくださる安心感から主のもとに来たのです。

 

②愛の源泉である罪の赦し。

イエス様はシモンに金貸しが二人の借金を帳消しにする譬えを話されました(4143)。「帳消し」は「贈り物」を意味しています。十字架による罪の赦しも神からの無代価の贈り物です(ローマ6:23)。赦しへの感謝が愛を生み出します。

 

③人を変えるキリストの愛。

イエス様はシモンに罪深い女の行動の意味を説明しました。「あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし…あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人は…わたしの足に接吻してやまなかった」(4445)この女性は自分を見下げるシモンの欠けを補ったのです。


2018819日 礼拝 岡田文美佳副牧師

「神様からの宿題」ヨハネによる福音書 133135

「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書13:34

 

わたしたちが神様に生かされている愛をもって隣人を愛することは、神様からの生涯の課題であり、宿題です。

 

①新しい掟。

「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)とは律法の集約された愛の掟です。しかし、イエス様はさらに進んで十字架でご自身を犠牲にされた愛に倣うように招かれます。

 

②イエス様の愛に倣う愛。

・「この上なく愛し抜かれ」(ヨハネ13:1)る愛。

・僕として仕える愛。

・裏切る者、敵でさえも愛する愛。

をイエス様は見せてくださり、わたしのようにと私たちを愛の人になるように招かれます。

 

③互いに愛し合いなさい。

一方的に隣人を愛することもたやすいことではありませんが、イエス様は、互いに愛することを更に深めるようにと求められます。そして、互いに、ということの中で福音は前進し、証しされてゆきます。

 

神様は私を主の愛に生かし、愛の人に造り変えてくださいます。


2018812日 礼拝 岡田順一牧師

「百倍の実を結ぶ」ルカによる福音書 8115

「ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」(ルカによる福音書8:8

 

種を蒔く人のたとえから、百倍の実を結ぶ種である神の言葉の祝福の可能性を学び、その祝福にあずかる条件を学びましょう。

 

①神の言葉を中心におく人の結実。

「種は道端に落ち」(5)

神の言葉を心の片隅におく人です。その人は悪魔の誘惑に負けやすく神の言葉を捨てます。神の言葉を心の中心におく人は結実します。

 

②祈りによって神の言葉を聞く人の結実。

「種は石地に落ち」(6)

根がないので祝福が長続きしません。「根」とは祈りの生活です。「隠れたことを見ておられる…父が報いてくださる」(マタイ6:6)

 

③神を第一とする人の結実。

「種は茨の中に落ち」(7)

「茨」とは思い煩い、富、快楽です(14)。これらよりも神を第一とする時、神は思い煩いから解放し、必要を満たして下さいます(マタイ6:33)

 

④善い心を持った人の結実。

「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き」(15)

「神は…万事が益となるように共に働く」(ローマ8:28)

善いと益は同語です。善い心は神の最善を信じます。


201885日 礼拝 岡田順一牧師

「神につまずかない人の幸い」ルカによる福音書  71835

「わたしにつまずかない人は幸いである。」(ルカによる福音書7:23

 

①イエス様につまずかないために。

洗礼者ヨハネはヘロデ王によって投獄され、そのため彼の多くの弟子たちは彼から離れイエス様の弟子となっていました。そのことにつまずきを感じていた弟子たちにヨハネは主のもとに行くことを勧めました(19)。それはイエス様につまずかない最良の方法はイエス様のことをもっと知ることだったからです。彼らが主のもとで見たことは「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ…」(22)現実の主の御業でした。私たちもさらにイエス様のことを知る必要があります。

 

②イエス様につまずかない人の模範。

イエス様は洗礼者ヨハネについて「女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」(28)と評価されました。その理由は第一に「風にそよぐ葦」(24)のように揺れ動くことなく神を第一に生きる人だったからです。第二に「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3:30)内なる自我は衰え主が我が内に栄えることを願って生きたからです。


2018729日 礼拝 岡田順一牧師

「キリストの憐れみ」ルカによる福音書 71117

「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」(ルカによる福音書7:13

 

①悲しむ者に目をとめる主。

「ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった」(12)やもめの母親が一人息子を葬ろうとする悲しみの時「ちょうど」時を計ったかのように主はそこに来られました。私たちも誰にも分かってもらえない悲しみを通る時、主はそこにいてくださることを信じましょう。

 

②涙を取り去る主。

「主は…憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた」主の語られた譬えの中で善いサマリア人は追いはぎに襲われた人を「憐れに思い」(10:33)助けました。放蕩息子が帰ってきた時、父親は「憐れに思い」(15:20)彼を受け入れました。主の憐れみは思うだけで終らず涙を取り去ってくださいます。

 

の憐れみを伝える使命。

「主はこの母親を見て」主は自ら進んで悲しむ母親に向かわれました。悲しむ者を憐れむことは主の御意志です。私たちの身近に悲しむ人がいるなら主を紹介すべきです。主は必ずその人に憐れみを注いでくださるに違いありません。


2018722日 礼拝 岡田順一牧師

「神の言葉の権威」ルカによる福音書 7110

「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」(ルカによる福音書7:7

 

イエス様を感心させた百人隊長の信仰に学びましょう()

 

①神の愛への信仰。

百人隊長は部下のためにイエス様に助けを求めました。ユダヤ人の長老たちは彼について「わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」(5)と言いました。百人隊長は身分を越えて部下を愛し、民族を越えてユダヤ人を愛し、神のために自費で会堂を建て神の愛に生きる生活をしました。

 

②神の存在への信仰。

百人隊長は自分と部下との関係をイエス様とその言葉の関係に置き換えました(8)。それはイエス様とその言葉の素晴らしさを常に現実のこととして捕らえていたからです。彼は神の存在を信じ、そのみ前にへりくだって生きました(7)

 

③神の言葉への信仰。

「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」百人隊長は神の存在、神の愛を信じましたので、そのお方の言葉は必ず成るに違いないと信じました。「家に帰ってみると、その部下は元気になっていた」(10)


2018715日 特別伝道礼拝 岡摂也牧師(山形南部教会)

「ここに愛がある(愛の人ヨハネ)」ヨハネの手紙 一 4712

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙 一 4:10

 

①愛のないヨハネ。

ヨハネは「ボアネルゲス、すなわち、『雷の子ら』という名を付けられた」(マルコ3:17)「ヨハネは…『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言った」(ルカ9:54)ヨハネは元々は愛のない短気な人でした。

 

②十字架の愛によって変えられたヨハネ。

「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」ヨハネは婦人たちと共に十字架から離れませんでした(ヨハネ19:2627)。ヨハネは十字架によって神の愛を知り、その神の愛によって彼は愛の人に変えられました。

 

③神の愛に生きたヨハネ。

「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(11)ヨハネは互いに愛し合うことを勧めています。その愛はアガペーの愛、神の愛です。私たちは日々に神の愛をいただくことが出来ます。


201878日 特別礼拝 島隆三牧師(東調布教会牧師)

「決められた道を走り通し」テモテへの手紙 二 418

「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。」(テモテへの手紙 二 4:7

 

①戦いを立派に戦い抜き。

「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」(テモテへの手紙 一6:12)これは伊藤馨先生の弾圧の経験であり、小林浩先生の闘病生活の経験でもありました。先生方は何度も立ち上がり、それを恵みとして感謝しておられました。

 

②決められた道を走りとおし。

「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使徒言行録20:24)「生かされているかぎりは使命がある。使命があるから生かされる。」(伊藤須磨師)

 

③信仰を守り抜きました。

小林浩先生は神からの使命を自覚し立派にその使命を果たされました。そのために生涯、聖書信仰を貫かれました。「神の言葉を前にして理屈を言うのではなく、まず神の言葉を受け入れるべきです。」(小林浩師の言葉)


201871日 礼拝 岡田順一牧師

「神のことばに従う」ルカによる福音書 63749

「わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。」(ルカによる福音書6:4748

 

①行動の変革。

「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」(3738)主は赦しなさい、与えなさいとキリスト者に相応しい変革された行動を示されました。それを実行するために「十分に修行を積めば」(40)と勧めました。修行とは整骨のことで霊的健康診断の勧めです。また「自分の目から丸太を取り除け」(42)とまず自分を反省し、十字架を仰ぐことを通して、裁きの心ではなくキリストの愛によって隣人を赦し、隣人のために祈ることができます。

  

②変革の原動力。

「岩の上に土台を置いて家を建てた人」になるべきことが勧められています。岩を人生の土台とするとは、神の言葉を聞いて、それを実行する人のことです。そのために「地面を深く掘り下げ」とは、労力を惜しまないことです。神の言葉を聞くことについて労力を惜しまない人こそ行動の変革された人です。